大内政弘 おおうちまさひろ 文安三〜明応四(1446-1495)

教弘の嫡子。周防・長門・豊前・筑前の守護。大内氏二十九代当主。子に義興・隆弘がいる。左京大夫・従四位上に至る。
応仁の乱では細川氏と対立し、西軍の山名持豊(宗全)に加勢して畿内各地を転戦する。乱がひとまず治まった文明九年(1477)、周防に帰国し、翌年九州に渡って少弐氏を討ち、筑前を平定。長享元年(1487)、幕府の要請に応じて近江六角氏討伐に派兵し、延徳三年(1491)には自ら上京して六角氏を討伐した。明応四年(1495)九月十八日、没。享年五十一。墓は山口市滝町の法泉寺にある。
和歌・連歌を極めて好み、一条兼良正広宗祇・三条西実隆ら多くの歌人・連歌師と交流する。荒廃した京都より公家・僧侶・芸術家を周防山口に招き、山口における文運の興隆に尽力した。文明十二年(1480)には宗祇を招き、連歌会を行なっている。数多の古典を蒐集・書写させた功績も高く評価される。家集『拾塵集』に千百余首を残す。

「拾塵和歌集」 私家集大成6・新編国歌大観8

水くらき木陰にうすく見え()めて()になるままにそふ蛍かな(拾塵集)

【通釈】蛍は夕暮、木陰の暗い水面にうっすらと見え始めて、夜になるにつれて光が増してゆく。

【補記】上句の細やかな描写に実感がある。

夕虫

野辺よりも思へばふかきあはれかなうつす虫籠(むしこ)の夕暮の声(拾塵集)

【通釈】野辺で聴くよりも、思えば哀れ深いものだ。虫籠に移して飼う虫が夕暮に鳴く声よ。

【補記】『新編国歌大観』で検索する限りでは、虫籠を詠んだ最初の歌。伝統的な風趣よりも日常的な実感に「あはれ」を見ている点、注目される。

羈中の歌に

ゆき暮れてうちぬる市の仮やかた都の夢を売る人もがな(拾塵集)

【通釈】旅の途中で日が暮れて、市中の宿所でひとときの睡眠をとる――都の夢を売る人がいてほしい。

【補記】「仮やかた」は旅の宿のこと。同題の歌「かり枕足もやすめぬ旅寝かなあすの道のみ夢にたどりて」も旅の苦しさを詠んで味わい深い。

文明のみだれに両陣あひわかれ侍りし時、心ならぬさまにて都にありし事をおもひ侍りけるころ、思往事といふことを

わきかねつ心にもあらで()とせあまりありし都は夢かうつつか(拾塵集)

【通釈】区別することができない。心ならずも十余年過ごした都の日々は、夢なのか現実なのか。

【補記】「文明のみだれ」は、いわゆる応仁の乱に続く東西両陣の争乱。大内政弘は西軍の将であった。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
世の中は夢かうつつかうつつとも夢ともしらず有りてなければ


最終更新日:平成17年08月23日