茨田王 まんたのおおきみ 生没年未詳 略伝

系譜などは未詳。天平十一年(739)正月、従五位下に初叙。翌年、従五位上に昇る。同十六年二月、聖武天皇の難波行幸に際し、少納言の官にあって、恭仁宮の駅鈴・内外印を難波宮に運ぶ。その後、宮内大輔・越前守・中務大輔を歴任。天平宝字元年(757)十二月には、越中守従五位上の地位にあった。万葉集に一首の歌を残す。

五年正月四日、治部少輔石上朝臣宅嗣の家にして宴する歌

梅の花咲けるが中に(ふふ)めるは恋やこもれる雪を待つとか(万19-4283)

【通釈】梅の花が咲いている中に、まだ蕾のままのがあるのは、恋の思いがこっそり籠っているのでしょうか。雪が降るのを待つというわけで。

【補記】題詞に「五年」とあるのは天平勝宝五年(753)。石上宅嗣邸における正月賀宴での三首のうち二首目。主人宅嗣が「言繁み相問はなくに梅の花雪に萎れてうつろはむかも」と、雪と梅を男女の仲に見立てて詠んだのに対し、茨田王は蕾の梅があることに注目して恋人を待つ風情かと応じた。


最終更新日:平成15年12月26日