天平宝字二年(758)八月、正六位上より従五位下。翌年十二月、首(おびと)より連(むらじ)に改姓。同六年正月、図書寮の内史局助に任ぜられる。万葉集に四首の歌を残す(6-1008、8-1556・1647、16-3848)。また16-3832の「忌部首」も黒麻呂か(万葉集古義)。
忌部首黒麻呂の、友の遅く来ることを恨むる歌一首
山の端にいさよふ月の出でむかと
【通釈】山の端でためらっている月がもう出るだろうかと待つ――そのように私が待ち遠しく思っているあなたが現れないまま、夜は更けてゆく。
【補記】「我が待つ君が」の後に「来まさぬ」などが略された形。
【他出】袖中抄、色葉和難集
忌部首黒麻呂の雪の歌一首
梅の花枝にか散ると見るまでに風に乱れて雪ぞ降り来る(万8-1647)
【通釈】梅の花が枝から散るのかと見えるほどに、風に乱れて雪が降ってくる。
【補記】梅の花を雪になぞらえる趣向はすでに天平二年(730)の旅人らの梅花宴での作歌に見え、天平の歌人には常識となっていたと思われる。掲出歌は逆に雪を梅の花に見立て、「枝にか散る」「風に乱れて」と、目と心をより細かに働かせている。
【他出】古今和歌六帖(作者名なし)
【参考歌】大伴旅人「万葉集」巻五
我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れくるかも
小野国堅「万葉集」巻五
妹が家に雪かも降ると見るまでにここだもまがふ梅の花かも
【主な派生歌】
梅の花いろはそれともわかぬまで風に乱れて雪は降りつつ(源実朝[続後撰])
更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成21年04月25日