公順 こうじゅん 生没年未詳

藤原秀能の曾孫。九条金頂寺別当禅観の子。藤原公益の猶子。律師、権大僧都、三井寺法印。
二条派歌人。為世二条為藤らが主催する歌会に参加し、また覚助法親王家五十首などに出詠した。定為・長舜らと親交があった。新後撰集以下に八首入集。建武元年(1334)以後成立の自撰家集『拾藻鈔(拾藻抄)』がある(桂宮本叢書八・私家集大成五・新編国歌大観七に収録)。
以下には『拾藻鈔』より二首を抄出した。

百首歌

別れ()にまた来む秋の空とだにせめては(ちぎ)れ春の雁がね

【通釈】別れにあたり、秋の空に再びやって来ることだけはせめて約束してくれ、春去って行く雁よ。

【語釈】◇また来む秋 「再び巡り来る秋という季節」「雁がまた戻って来る秋」の両義。

【補記】『拾藻鈔』巻一、春歌上。詞書の「百首歌」は不詳。

山家にてよみ侍りし歌に

霧ふかき苑生(そのふ)の竹もうすずみの夕べかなしき山の奥かな

【通釈】霧が深く立ちこめる園の竹も薄墨色に染まる夕べ、いっそう悲しみのまさる山奥の住まいだことよ。

【補記】竹は隠者の住まいのシンボル。「うすずみ」は薄暮の色であると共に、出家者の法衣の色でもある。『拾藻鈔』巻四、秋歌上。


公開日:平成15年03月14日
最終更新日:平成21年07月10日