兼覧王 かねみのおおきみ 生年未詳〜承平二(832)

惟喬親王の子。仁和二年(886)、従四位下。河内権守・中務大輔・民部大輔・山城守・侍従・神祇伯・宮内卿などを歴任。延長二年(924)、正四位下。紀貫之・凡河内躬恒ら歌人との交流が古今集から窺える(巻八離別歌)。古今集に5首、後撰集に4首入集。息女は「兼覧王女」の名で後撰集に歌を1首残している。中古三十六歌仙

秋の歌

たつた姫たむくる神のあればこそ秋の木の葉のぬさと散るらめ(古今298)

【通釈】龍田姫という、手向をするべき神があるからこそ、秋の木の葉は供え物としてこのように散るのだろう。
[別解]龍田姫が手向をする神―天神―があるからこそ、別れ行く神への餞別として風を吹かせ、このように木の葉が散るのだろう。

【語釈】◇たつた姫 龍田姫。風の神、秋の神。龍田は大和国生駒郡の地で、大和の西境にあたる。平城京の東側に位置した佐保の「佐保神」が春の女神と考えられたのに対し、龍田姫は秋の女神とされた。◇たむくる 幣を供える。また旅人に餞別を贈る意ともなった。幣は古くは木綿・麻を用い、のち布や紙を用いるようになった。◇散るらめ 散るだろう。「らめ」は推量の助動詞「らむ」係助詞「こそ」との係り結びによって已然形をとったもの。

【主な派生歌】
山姫に千重の錦を手向けても散るもみぢ葉をいかで留めん(藤原顕輔[千載])
龍田姫わかるる秋の道すがら紅葉のぬさをおくる山風(源家清[新後撰])

雷壺(かむなりのつぼ)に召したりける日、大御酒など(たう)べて、雨のいたう降りければ、夕さりまで侍りて、まかりいで侍りける折に、盃をとりて   貫之

秋萩の花をば雨にぬらせども君をばましてをしとこそ思へ

とよめりける返し

惜しむらん人の心を知らぬまに秋のしぐれと身ぞふりにける(古今398)

【通釈】あなたが惜しんで下さっていようとは――そんなお気持を知らない間に、秋の時雨が「降る」ように我が身は「古」びてしまったことです。

【語釈】◇雷壺 内裏の北西隅にあった襲芳舎(しゅうほうしゃ)。落雷に遭った木があったため、こう通称されたともいう。

【補記】離別歌。醍醐天皇に召され、雷壺で酒を賜った貫之は、辞去の際、同席していた兼覧王に「秋萩が雨に濡れるのも惜しいけれど、あなた様とのお別れが更に惜しまれます」と言い遣った。それに対し、時雨にことよせて老いた身を嘆いてみせたもの。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成21年08月05日