甘南備伊香 かんなびのいかご 生没年未詳

父母等は未詳。『続日本後紀』『新撰姓氏録』によれば甘南備真人は敏達天皇の後裔。はじめ伊香王と称した。
天平十八年(746)四月、従五位下に初叙せられる。同年八月、雅楽頭に任ぜられる。天平勝宝元年(749)七月、従五位上に昇叙。同三年十月、高城王・池辺王と共に甘南備真人を賜姓される。天平宝字元年(757)十二月八日、大監物三形王宅の宴に臨席、歌を詠む(万葉集20-4489)。この時大蔵大輔とある。翌年二月、式部大輔中臣清麻呂宅の宴に臨席し、三首の歌を残す(20-4502・4510・4513)。この時も大蔵大輔。いずれの宴も大伴家持が同席している。美作守・備前守・主税頭を歴任し、神護景雲二年(768)閏六月、越中守。宝亀八年(777)正月に正五位上に叙せられて以後の消息は不明。重職を歴任したが、孝謙・淳仁・称徳朝を通じて昇叙に恵まれず、光仁朝に至って復権された観がある。万葉には上記四首のみ。

興に依りて、おのもおのも高円(たかまと)離宮処(とつみやところ)(しの)ひて作る歌

大君の継ぎて()すらし高円(たかまと)野辺(のへ)見るごとに()のみし泣かゆ(万20-4510)

【通釈】大君が今もお治めになっていられるだろう、この高円の野辺を見るたびに、声挙げて泣かずにいられない。

【語釈】◇大君 聖武天皇を指す。◇継ぎて見すらし この「めす」は「治める」意の尊敬語。

【補記】天平宝字二年(758)二月、大伴家持らと共に中臣清麻呂宅の宴に集い、各自が故聖武天皇の高円離宮を偲んで詠んだという歌。

山斎(しま)属目(しよくもく)して作る歌

磯影の見ゆる池水照るまでに咲ける馬酔木(あしび)の散らまく惜しも(万20-4513)

【通釈】磯影の映っている池の水面――それを照らすばかりに咲いている馬酔木の花が散ってしまうのは惜しい。

【語釈】◇馬酔木 ツツジ科のアセビ。早春から盛春にかけ、白または薄紅色の壺形の花が枝先に群がり咲く。

【補記】前歌と同じく天平宝字二年(758)二月、中臣清麻呂邸での宴での作。この時、三形王も馬酔木を詠んだ歌を残している。


更新日:平成15年12月28日
最終更新日:平成21年04月19日