粟田女王 あわたのおおきみ 生年未詳〜天平宝字八(?-764) 略伝

系譜不詳。初叙が従四位下であることから、天皇の三世王であったと思われる。
養老七年(723)正月、従四位下に初叙。天平十一年(739)正月、従四位上。この時聖武天皇が中宮に御して授位を行ったとある。同十六年秋か冬、左大臣橘諸兄邸に元正上皇を招いての宴に河内女王らと参席、歌を詠む(万葉集巻18-4060)。同二十年(748)三月、正四位上。天平宝字五年(761)六月、正三位。同年十月、保良宮遷都に伴い、県犬養夫人と共に稲四万束を賜わる。同八年五月四日、薨ず。時に正三位。

粟田女王の歌一首

月待ちて家にはゆかむ我が挿せるあから橘影に見えつつ(万18-4060)

【通釈】月の出を待って家には帰りましょう。私の髪に挿したあかい橘を、月の光に照らし出しながら。

【語釈】◇あから橘 赤みを帯びた橘の実。当時は赤・黄色など明るい色はおしなべて「あか」と言った。

【補記】左注には「右件歌者、在於左大臣橘卿之宅肆宴御歌并奏歌也」とあり、「左大臣橘卿」すなわち橘諸兄の邸宅で宴を催した時の作。河内女王も同席して歌を詠んでいる。天平二十年(748)、田辺福麻呂が越中で大伴家持に伝誦し、記録されたもの。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日