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秋の蝉と言えば
平安時代にも「つくつくぼふし」の名で呼ばれていたことは、藤原高遠の家集『高遠集』の次の一首から判る。
屋の
端 に、つくつくぼふしの鳴くを聞きて我が宿のつまは寝よくや思ふらむうつくしといふ虫ぞ鳴くなる
「つま」は「(軒の)
中古の頃の「うつくし」は今の語感と少し異なり、「愛らしい」というニュアンスが強かったと言われている。古人はつくつく法師の声に「いとしい、いとしい」という情愛の声を聞いたのだろうか。そう思って聞けばそう聞こえないこともないが、やはり現代の我々の耳とはちょっと違うのかなとも思う。
ところで中世から「山の蝉」を詠んだ秋の歌がちらほら見えるようになる。中でも名高いのは源実朝の歌だ。
『金槐和歌集』 蝉のなくを聞きて
吹く風の涼しくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は来にけり
立秋の頃、鎌倉幕府周辺の山を散策しての作だろう。
この「山の蝉」のことを、私はずっと蜩だとばかり思っていた。和歌で秋の蝉と言えば圧倒的に蜩の人気が高いのだ。ところが、これは鎌倉に引っ越して初めて気づいたことなのだが、蜩は梅雨明け前後からもう盛んに鳴いている。立秋近くなって鳴き始める蝉と言えば、つくつく法師だ。私は、実朝が聞いた「山の蝉」はつくつく法師に違いないと思うようになった。
「山の蝉」という語を用いた歌では、他に次のようなものがある。
『秋篠月清集』 雨後聞蝉 藤原良経
むらさめのあとこそ見えね山の蝉なけどもいまだ紅葉せぬころ
『後鳥羽院御集』 紅葉 後鳥羽院
山の蝉なきて秋こそ更けにけれ木々の梢の色まさりゆく
立秋頃から鳴き始め、木々が色づき始める頃まで鳴き続ける蝉というと、つくつく法師しかないのではなかろうか。この蝉に「寒蝉」の字を宛てる所以だ。
写真は我が家の外壁に張り付いていたつくつく法師。弱っていたのだろうか、近づいても逃げようとしない。やや緑がかった小さな体に、透きとおった羽。和歌に詠まれた「蝉の羽衣」だ。私は「うつくし、うつくし」と眺め入ってしまった。
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『元良親王集』(詞書略) 元良親王
蝉の羽のうすき心といふなれどうつくしやとぞまづは啼かるる
『散木奇歌集』(人々まうできて歌よみけるに蝉をよめる) 源俊頼
女郎花なまめきたてる姿をやうつくしよしと蝉のなくらん
『拾遺愚草』(秋十首より) 藤原定家
鳴く蝉も秋の響きの声たてて色にみ山の宿のもみぢ葉
『光吉集』(紅葉) 惟宗光吉
下紅葉いろづきそむるあしびきの山の蝉なきて秋風ぞ吹く
『六帖詠草』(心性寺にて) 小沢蘆庵
松風の読経の声にきこえしはつくつくぼふしなけばなりけり
『朱霊』 葛原妙子
つくつくぼふし三面鏡の三面のおくがに啼きてちひさきひかり
公開日:平成22年09月26日
最終更新日:平成22年09月26日