Q4.家持の越中赴任は左遷だったのですか? A.ちがいます。左遷という意味合いは、まったくありませんでした。 家持が越中守(えっちゅうのかみ)に任じられたのは、聖武天皇の天平十八年(746)のことです。当時の越中国は、今で言えば富山県全県と石川県能登半島を含んだ、かなり大きな国でした。 古代の北陸は「天離(あまざか)る鄙(ひな)」と呼ばれ、たしかに都人にとっては遥かな遠い土地という印象が強かったでしょう。しかし、軍事・外交の側面からも、国家経済という側面からも、たいへん政治的に重要な土地でした。
(詳しくは、家持アルバムの越中守時代をお読みください。) A.(家持) 越中か。懐かしい。今となっては良い思い出ばかりだ。わが人生で、あの頃ほど充実していた日々はなかった。 |
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