能登内親王
のとのひめみこ
- 生没年 733(天平5)〜781(天応1)
- 系譜など 白壁王と高野新笠の子(続紀延暦8年12月条高野新笠の崩伝に能登内親王を産んだとある。『皇胤紹運録』に母を井上内親王とするのは誤り)。山部親王(桓武天皇)・早良親王の同母姉。父の即位以前、市原王の室となり、五百井女王(いおいのおおきみ)・五百枝王(いおえのおおきみ)の二人の子をもうけた。
- 略伝 760(天平宝字4)年、長男五百枝王を出産。770(宝亀1)年、父の即位にしたがって内親王となり、四品に叙せられる。776(宝亀7)年、三品。781(天応1)年2.17、三品にて薨ず。贈一品。光仁天皇は、内親王の子五百井女王・五百枝王を二世王として優遇する詔を発する。(本来なら五世王となるが、能登内親王は光仁天皇の子であるから、孫として二世王扱いとするということ)。大伴家持・石川豊人等が派遣され葬儀を司った。
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