歌枕紀行 摂津国

―つのくに―

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待兼山 難波 住吉 水無瀬 猪名野 有馬 須磨 布引の滝



摂津国の主な歌枕(五十音順)

芥川(あくたがは) 大阪府高槻市を流れる。『伊勢物語』の主人公二条の后をつれて逃げた挿話で有名。「飽く」をかけて用いられることが多い。

はつかにも君をみしまの芥川あくとや人のおとづれもせぬ(伊勢)


浅沢小野(あさざはをの) 大阪市住吉区千躰町・沢之町あたりにあった低湿地。

思ひかね浅沢小野に芹つみし袖のくちゆくほどを見せばや(式子内親王)


芦屋(あしや) 兵庫県芦屋市あたり。古くは万葉の菟原処女の伝説がある。伊勢物語八十七段より「あしやの里」が歌枕となった。「芦屋の沖」もよく歌に詠まれた。

はるる夜の星か河辺のほたるかもわがすむ方にあまのたく火か([伊勢物語])

はるかなる芦屋の沖のうき寝にも夢路はちかき都なりけり(俊成)


有馬(ありま) 神戸市北区有馬町。古くから温泉が出、皇族・貴族の保養地だった。

有馬山猪名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする(大弐三位[後拾遺])


生田(いくた) 神戸市中央区三宮の生田神社とその周辺。『大和物語』の生田川伝説などで名高い。

秋とだに吹きあへぬ風に色かはる生田の森の露の下草(定家)


猪名野(ゐなの) 兵庫県伊丹市東部から尼崎市東北部にかけての野。荒涼とした原野として多くの歌に詠まれた。

しなが鳥猪名野を来れば有馬山夕霧たちぬ宿りはなくて([万葉])


大江(おほえ)の橋 大阪市東区京橋二丁目。「大江の岸」も歌枕。

遥かなる大江の橋はつくりけん人の心ぞ見えわたりける(源俊頼)


草香江(くさかえ) もと河内平野をみたし、生駒山麓まで広がっていた広大な入江。「難波潟」に同じ。

草香江の入江にあさる葦鶴(あしたづ)のあなたづたづし友なしにして(旅人 万葉)


昆陽(こや) 伊丹市昆陽。行基の造った池がある。菖蒲・杜若、鴛鴦(おし)などを詠み込んだ歌が多い。

津の国のこやとも人を言ふべきにひまこそなけれ葦の八重葺き(和泉式部)


桜井(さくらゐ) 大阪府三島郡島本町桜井。水無瀬も近い。桜の名所として詠まれた。

秋風の吹くに散りかふもみぢ葉を花とや思ふ桜井の里(藤原実方)


五月山(さつきやま) 大阪府池田市に同名の山があるが、普通名詞とする説が多い。

五月山こずゑを高みほととぎす鳴くねそらなる恋もするかな(貫之[古今])


さび江 所在不詳。神戸市兵庫区佐比江町あたりかという。

年を経て濁り絶えせぬさび江には玉もかへりて今ぞすむべき(忠岑[後撰])


須磨(すま) 神戸市須磨区の海岸。古来製塩の地であったが、貴人の流謫あるいは隠棲の地としても名高い。ことに『源氏物語』以後、さかんに歌に詠まれた。

わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶと答へよ(在原行平[古今])


住吉(すみよし) 大阪市住吉区。上代より朝廷の港。古くは「住の江」。

住の江の松を秋風吹くからに声うちそふる沖つ白波(躬恒[古今])


高津の宮 仁徳天皇が難波に造営した宮。

あはれさはふりゆくままに添へてけり高津の宮の春のあけぼの(慈円)


玉川(たまがは) 高槻市を流れる、淀川の支流。

見渡せば波のしがらみかけてけり卯の花咲ける玉川の里(相模[後拾遺])


田蓑(たみの)の島 大阪市の堂島川の田蓑橋付近かという。

雨により田蓑の島をけふ行けど名にはかくれぬものにぞありける(貫之[古今])


(つづみ)が滝 兵庫県川西市の猪名川の渓谷にあった滝。同名の滝は肥後国にもありこれも歌枕。

音に聞く鼓が滝をうちみれば川辺にさくや白百合の花(伝西行作)


津の国 旧国名。摂津国。今の大阪府と兵庫県の一部。「津」は港のこと。

津の国の難波の春は夢なれや葦の枯葉に風わたるなり(西行[新古今])


(つの)の松原 西宮市松原町一帯。

わぎもこに猪名野は見せつ名次山(なすきやま)角の松原いつか示さむ(高市黒人[万葉])


津守(つもり) 大阪市西成区に地名が残る。難波津のそば。

はるばると津守の沖を漕ぎゆけば岸の松風遠ざかるなり(九条兼実[千載])


遠里小野(とほさとをの) 大阪市住吉区から堺市にかけての丘陵地。

君が代は遠里小野の秋萩も散らさぬほどの風ぞ吹きける(俊成)


長居の浦 大阪市住吉区長居。

沖つ波たち別るとも音に聞く長居の浦に舟とどめすな(崇徳院)


長柄(ながら)の橋 淀川にかかっていた橋。現在は都島区の新淀川にかかる橋を長柄橋と呼ぶ。

難波なる長柄の橋も尽くるなり今は我が身を何にたとへむ(伊勢[古今])


(なだ) 神戸市灘区・東灘区あたりの海岸。塩焼を詠むことが多い。

芦の屋の灘の塩焼いとまなみ黄楊(つげ)の小櫛もささず来にけり([伊勢物語])


難波(なには) 大阪市の上町台地一帯をいった。難波津は古来朝廷の主要港で、宮都も度々造営された。

わびぬれば今はた同じ難波なる身をつくしても逢はんとぞ思ふ(元良親王)


難波潟(なにはがた) 草香江に同じ。多く葦が詠み込まれる。

難波潟みじかき葦のふしの間もあはでこの世を過ぐしてよとや(伊勢[新古今])


鳴尾(なるを) 西宮市鳴尾町にその名を留める。白砂青松の海岸だったらしく、松、ことに「鳴尾の一つ松」を詠み込むことが多い。

明日よりも恋しくならば鳴尾なる松の根ごとに思ひおこさん(源俊頼)


西の宮 西宮市。戎信仰の総本山、西宮えびす神社がある。

柴小舟まほにかけなせゆふしでて西の宮人風祭しつ(源俊頼)


布引(ぬのびき)の滝 神戸市中央区葺合町。

天の川これや流れの末ならん空より落つる布引の滝([金葉集])


広田(ひろた) 西宮市広田町とその周辺。天照大神の荒魂を祀る広田神社がある。

今日まではかくて暮らしつ行末を恵みひろたの神に任せん(藤原頼実)


堀江(ほりえ) 大阪市内を流れる大川にあたる。仁徳天皇が開削した人工河川。

命あらばまた帰りこむ津の国の難波堀江の葦のうら葉に(大江嘉言[後拾遺])


待兼山(まちかねやま) 豊中市待兼山町にある小丘。

夜をかさね待兼山のほととぎす雲居のよそに一声ぞ聞く(周防内侍)


真野の榛原(まののはりはら) 神戸市長田区真野町とその周辺。もと大きな池があり、水辺に榛の林があった。

いざ子ども大和へ早く白菅(しらすげ)の真野の榛原手折りてゆかむ(高市黒人[万葉])


三島江(みしまえ) 草香江とつながっていた入江。現在の高槻市の淀川沿岸。

三島江や露もまだひぬ蘆の葉につのぐむほどの春風ぞ吹く(源通光[新古今])


御津(みつ) 難波の港。朝廷の港だったので、「御」を付す。

いざ子ども早く大和へ大伴の御津の浜松待ち恋ひぬらむ(憶良[万葉])


水無瀬(みなせ) 三島郡島本町。後鳥羽院の水無瀬殿があった。

見渡せば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋となに思ひけむ(後鳥羽院[新古今])


湊川(みなとがは) 六甲山地より大阪湾に注ぐ。

湊川夏の行くては知らねども流れてはやき瀬々のゆふしで(順徳院[風雅])


敏馬(みぬめ) 神戸市灘区岩屋中町の敏馬神社とその周辺。

玉藻刈る敏馬を過ぎて夏草の野島の崎に船近づきぬ(人麿[万葉])


武庫(むこ) 兵庫県東部の武庫川河口とその周辺の沿岸部。西国からの畿内の入口にあたり、渡船場があった。

たまはやす武庫の渡に天づたふ日の暮れゆけば家をしぞ思ふ([万葉])


夢野(ゆめの) 神戸市兵庫区。『摂津国風土記逸文』に夢野の鹿の伝承がある。

夜をのこす寝覚に聞くぞあはれなる夢野の鹿もかくや鳴くらん(西行)


依網(よさみ)の原 大阪市住吉区庭井から松原市天美にかけての地。依羅とも書く。

明けわたる依網が原に伏す鹿の一声なきて山に入りぬる(寂身)




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©水垣 久 最終更新日:平成15-9-5
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