源時綱 みなもとのときつな 生没年未詳

光孝源氏。信明の曾孫。肥後守信忠の子。母は河内守源頼信女。
長久四年(1043)頃、文章生。治暦三年(1067)頃、正六位上大学権助の地位にあった。承暦年間(1077-1081)に肥後守をつとめたあと、寛治二年(1088)、大宰大弐藤原実政が八幡宮の神輿を射た事件に連座して安房国に配流された。最終官位は従五位上。
漢詩人として名高く、『新撰朗詠集』などに作を残す。後拾遺集初出。勅撰和歌集入集三首。

梅花遠薫といふことをよめる

吹きくれば香をなつかしみ梅の花ちらさぬほどの春風もがな(詞花9)

【通釈】風が吹いてくると、かすかに梅の香がして、もっと嗅いでいたくなる。梅の花を散らさぬ程度に、もう少しつよい春風が吹いてほしいものだ。

題しらず

君なくて荒れたる宿の浅茅生に鶉なくなり秋の夕暮(後拾遺302)

【通釈】あるじがいなくて荒れてしまった家は、茅萱(ちがや)が茫々と生い茂っている。その中で、鶉が鳴いているのが聞えてくる、秋の夕暮よ。

【補記】「君」はあるいは伊勢物語の「君は来ざらむ」を意識し、「夫が来なくて」といった意に用いたものかもしれないが、とすれば拙い詞になってしまう。

【参考】「伊勢物語」百二十三段
野とならば鶉となりて鳴きをらむかりにだにやは君は来ざらむ

【主な派生歌】
夕されば野辺の秋風身にしみて鶉なくなり深草の里(*藤原俊成[千載])


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成23年05月27日