常康親王 つねやすのみこ 生年未詳〜貞観十一(?-869) 別称:雲林院のみこ

仁明天皇の第七皇子。母は紀朝臣種子(一説に種子は三国町)。文徳天皇・光孝天皇の弟。系図
父帝の崩御の翌年、出家。淳和天皇の離宮であった雲林院を与えられて居住したため、雲林院宮とも呼ばれた。天台僧として仏道修行に専念したが、貞観十一年(869)二月、雲林院を遍昭に付した後、同年五月に死去した。歌は古今集に一首のみ。

題しらず

吹きまよふ野風をさむみ秋萩のうつりもゆくか人の心の(古今781)

【通釈】吹き乱れる野風の寒さに、秋萩が色褪せ散ってゆく――そのように移ろってゆくのか、人の心も。

【補記】恋五。恋人の心が自分から離れてゆくことを歎いた歌。「秋はぎの」までは、「うつり」を出してくるための序詞であるが、秋も半ばを過ぎた頃の寥々とした風趣がよく出ている。下句は「人の心のうつりもゆくか」の倒置。ふっと口をつぐんだように歌い終わる、その息遣いが絶妙である。

【主な派生歌】
人心うつりもゆくか朝顔の花のうへなる露をみしまに(藤原秀能)
いたづらにうつりもゆくかわぎもこが衣にすらん秋はぎの花(藤原基政[玉葉])


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成22年08月25日