大伯皇女 おおくのひめみこ 斉明七〜大宝一(661〜701)

大来皇女とも。天武天皇の皇女。母は大田皇女。大津皇子の同母姉。天武二年(673)、十三歳の時、伊勢斎宮に卜定され、翌年伊勢に下る。十三年間斎宮として奉仕し、朱鳥元年(686)十一月、帰京。万葉集に六首の歌を残す。すべて弟の大津皇子を思いやった歌である。

大津皇子(ひそ)かに伊勢の神宮(かむみや)(くだ)りて、(のぼ)り来る時に、大伯皇女(おほくのひめみこ)の作らす歌二首

我が背子を大和へ遣るとさ夜更けて(あかとき)露に我が立ち濡れし(万2-105)

【通釈】私の弟を大和へ帰すというので、夜が更けて、暁まで立ち尽し、私は露にびっしょり濡れた。

【語釈】◇我が背子 「背子」は、同母兄弟を姉妹が親しんで呼ぶ語。ここでは大津皇子を指す。◇大和へ遣ると 大和国へ帰しやると。

二人ゆけど行き過ぎかたき秋山をいかにか君が独り越ゆらむ(万2-106)

【通釈】二人して行っても通過するのが困難な秋の山を、どうやってあなたが独りで越えて行くというのだろうか。

【語釈】◇行き過ぎかたき 行き過ぎにくい。淋しく暗い山道なのでこう言う。

【補記】朱鳥元年(686)頃、大津皇子が伊勢神宮にひそかに下り、また京へ帰ってゆく時よんだ歌。

【主な派生歌】
いはけなくいかなるさまにたどりてか死出の山路をひとりこゆらん(土岐筑波子)

大津皇子の(こう)ぜし後、大来皇女(おほくのひめみこ)、伊勢の斎宮(いつきのみや)より京に(のぼ)る時に作らす歌二首

神風(かむかぜ)の伊勢の国にもあらましを何しか来けむ君もあらなくに(万2-163)

【通釈】伊勢の国にいたほうがよかったのに、どうして私はのこのこやって来たのだろう、あなたはいもしないのに。

【語釈】◇神風の 伊勢の枕詞◇あらましを (伊勢の国に)いたほうが良かったのに。◇君もあらなくに あなたはいないのに。「君」は大津皇子を指す。

 

見まく()()がする君もあらなくに何しか来けむ馬疲るるに(万2-164)

【通釈】私が見たいと思うあなたはいもしないのに、どうしてやって来たのだろう、馬が疲れるだけなのに。

【語釈】◇見まく欲り我がする君 私が逢いたいと思うあなた。◇何しか来(き)けむ どうして私は(はるばる伊勢から大和へ)来たのだろう。「し」は強めの助詞、「か」は疑問の助詞。

【補記】大津皇子薨去の後、伊勢斎宮より上京する時作った歌。

大津皇子の(かばね)葛城(かづらき)二上山(ふたがみやま)に移し(はふ)る時に、大来皇女の哀傷(かなし)みて作らす歌二首

うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟背(いろせ)()が見む(万2-165)

【通釈】現世に留まる人である私は、明日からは、二上山を我が弟として見よう。

【語釈】◇うつそみ 現世。この世。◇二上山(ふたかみやま) 奈良県北葛城郡当麻町。雌雄二峰あり、雄岳の頂には大津皇子の墓がある。

 

磯の上に生ふる馬酔木(あしび)を手折らめど見すべき君が在りと言はなくに(万2-166)

【通釈】岩のほとりに生える馬酔木を手折ろうとしても、それを見せるべきあなたがいると、世の人の誰も言ってくれないではないか。

【語釈】◇馬酔木 アセビ。ツツジ科の常緑灌木。

【補記】大津皇子のしかばねを二上山に移葬する時、悲しんで詠んだ歌。

【主な派生歌】
潮みちぬ 常世の雁の風の書を見すべききみがありといはなくに(山中智恵子)


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成18年12月20日