安倍虫麻呂 あべのむしまろ 生没年未詳 略伝

父は未詳。母は万葉集によれば安曇外命婦。従姉妹に大伴坂上郎女がいる。氏名は阿部にも作る。
天平九年(737)九月、外従五位下。同年十二月、皇后宮亮・従五位下。同十年閏七月、中務少輔。同年八月、右大臣橘諸兄家の宴に臨席、歌を詠む(万葉巻八)。同十二年九月、藤原広嗣の乱に際し、勅使に任命される。同年十月、佐伯常人と共に軍を率い、豊前国板櫃河で反乱軍と対戦、戦功を挙げる。十一月、鈴鹿郡赤坂頓宮において供奉者への叙位がなされ、この時従五位上に昇叙される。同十三年閏三月、広嗣の乱鎮圧の戦功者として、さらに正五位下に昇叙される。同年八月、播磨守。同十六年正月、諸卿大夫が安倍虫麻呂家に集い宴したことが万葉集巻六に見える。同十七年九月、八幡神社(宇佐)に派遣され、奉幣。この時も播磨守。天平勝宝元年(749)八月、紫微中台の大忠を兼ねる。同三年正月、従四位下。天平勝宝四年三月十七日、卒す。時に中務大輔従四位下。
万葉集に五首の歌を残す。

安倍朝臣虫麻呂の歌一首

しつたまき数にもあらぬ我が身もち如何でここだく()が恋ひ渡る(万4-672)

【通釈】粗末な環のように、数にも入らない私の身でもって、どうしてこれ程私は恋し続けているのだろうか。

【語釈】◇しつたまき シツは倭文織(しづおり)のこととも言うが、この場合、賎(しつ)手纏(たまき)、すなわち粗末な環のことか。手纏(環)は、宝玉などを紐で通して肘につけた飾り。「しつ(づ)たまき」で「数ならぬ」にかかる枕詞となる。

【補記】巻四相聞歌。自身を卑下し、叶わぬ恋に思いを燃やしていると言うことで、恋人に苦しさを訴えている。誰に贈った歌とも知れないが、続く大伴坂上郎女の歌二首「まそ鏡磨ぎし心をゆるしてば後に言ふとも験あらめやも」「真玉つくをちこち兼ねて言は言へど逢ひて後こそ悔にはありといへ」を掲出歌に対する応答と見る説もある。

【参考歌】山上憶良「万葉集」巻五
しつたまき数にもあらぬ身にはあれど千歳にもがと思ほゆるかも

【主な派生歌】
しづくまき数にもあらぬ玉のをのみだれて恋ひん絶えははつとも(藤原家隆)

安倍朝臣虫麻呂の月の歌一首

雨ごもる三笠の山を高みかも月の出で来ぬ夜は(くだ)ちつつ(万6-980)

【通釈】三笠の山が高いからか、月はなかなか出て来ない。夜はどんどん更けてゆくというのに。

【語釈】◇雨(あま)ごもる 「笠」または「三笠の山」の枕詞。雨の時にその下に隠れる「笠」から。

【補記】続く「大伴坂上郎女の月の歌三首」と同じ宴での作かという(『萬葉集釋注』)。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成22年03月01日