豊原統秋 とよはらのむねあき(-すみあき) 宝徳二〜大永四(1450-1524)

笙相伝の楽人の名門、豊原氏の出。父は筑後守治秋。統秋は村上天皇に仕えた有秋から数えて十八代目に当たるという。
後柏原天皇の文亀二年(1502)、中絶していた楽道師範に任ぜられる。永正五年(1508)、雅楽頭となる。同九年に楽書『體源抄』十三巻を著す。他に『舞曲口伝』などの著がある。大永四年八月二十日、七十五歳で没。法華経に深く帰依した。
和歌は晩学であったが、三条西実隆に教えを受けて精進した。明応九年(1500)、『豊原統秋自歌合』を選び、実隆に判を依頼した。連歌は宗長に学ぶ。茶道にも通じ、自邸に山里庵(さんりあん)と名付けた小座敷を構えた。晩年に自撰したと推測される家集『松下抄(鈔)』がある。

「松下抄」私家集大成6
「豊原統秋自歌合」群書類従222(第十三輯)

千首歌中に、朝花

日影まつ山下露の朝じめり風だにしらぬ花をみるかな(松下抄)

【通釈】山の木々からこぼれ落ちる朝露にしっとりと濡れて――それは日影が射すのを待って消える儚い命であるが――風すら知らずにひっそりと咲く桜の花を見ることよ。

【語釈】◇日影まつ 朝日を待つ間しか存在し得ない。◇山下露 山の下露。山の木々から滴り落ちる露。◇朝じめり 朝露に湿っていること。この語の用例としては新古今集の藤原清輔作「うすぎりの籬の花のあさじめり秋はゆふべとたれかいひけむ」が名高い。

【補記】容赦なくあらゆる花に吹きつける風――その風に気づかれることなく、ひっそりと山陰に咲き残っていた桜花を見つけたのであるが、やがては朝露のようにはなかく散ることも予感されている。

【参考歌】赤染衛門「続後拾遺集」
朝日さす山した露の消ゆる間もみしほどよりは久しかりけり

花面影

うつつこそさもあやにくにさそふとも夢路はゆるせ花の下風(松下抄)

【通釈】現実でこそ、まこと憎らしくも誘って散らすとしても、夢の世界では見逃してくれ、花の下を吹く風よ。

【参考歌】藤原家隆「新古今集」
旅寝する夢路はゆるせ宇津の山関とはきかずもる人もなし

四文字題百首中、山家初雁

朝戸あけに山の尾上をこす雁のこゑきく雲に秋風ぞふく(松下抄)

【通釈】朝起き抜けに戸を開けると、山の尾根を越えてゆく雁の声が雲から聞こえ――その雲に秋風が吹いているのだ。

【補記】山の尾上(視覚)・雁の声(聴覚)・雲に秋風(視覚)と、感覚の対象を素速く転じながら、最後に残るのは爽やかな秋のしみじみとした情趣である。

【参考歌】藤原信実「続古今集」
朝戸あけにたちいでてきけば時鳥山のはみゆるかたになくなり

旧恋

逢ふことはいつともわかぬ松の色の夕べはなどか風もかなしき(松下抄)

【通釈】あの人に逢うことは、いつともはっきりしない――いつとも季節を区別しない松の色ではないが――待つばかりの夕暮は、どうしてこう吹く風までも切ないのだろう。

【補記】題「旧恋」は「ふりたる恋」、すなわち長い歳月を経た恋心を詠む。「いつともわかぬ」は下記本歌に由来し、前句とのつながりからは「(いつ逢えるか)はっきりしない」、次句へのつながりからは「いつとも季節を区別しない松…」の意となる。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
夕づくよさすや岡べの松の葉のいつともわかぬ恋もするかな


更新日:平成18年09月22日
最終更新日:平成18年09月05日