光明院 こうみょういん 元亨元〜康暦二(1321-1380) 諱:豊仁(ゆたひと)

後伏見天皇の皇子。母は左大臣西園寺公衡女、広義門院光厳院の同母弟。
建武三年(1336)八月十五日、足利尊氏に擁立され、光厳上皇の院宣によって践祚、北朝第二代天皇となる。貞和四年(1348)十月二十七日、光厳上皇の第一皇子崇光天皇に譲位。貞和四年(1348)と観応二年(1351)の二度にわたり太上天皇の尊号を与えられる。文和元年(1352)、京都を占拠した南朝方によって光厳院と共に捕えられ、山城八幡、さらに大和賀名生へ移された。文和四年(1355)、河内より伏見殿に還御。康暦二年(1380)六月二十四日、大和長谷寺にて崩御。六十歳。法名は真常慧。墓所は京都市伏見区桃山町秦長老の大光明寺陵。
勅撰入集は風雅集のみの七首。

冬の御歌の中に

霜こほる竹の葉わけに月さえて庭しづかなる冬のさ夜中(風雅762)

【通釈】霜が凍りついている竹の葉――その葉の間を分けて月が冴え冴えと射し、庭は静まり返っている、冬の夜中よ。

【補記】「葉わけ」は月光(ならびに霜)が葉叢を一枚一枚の葉ごとに分けて見せているさま。

【参考歌】伏見院「伏見院御集」
霜にさゆる月かげさむし里の犬の声ふけすめる冬のさよなか
  後伏見院「風雅集」
鐘のおとにあくるか空とおきてみれば霜夜の月ぞ庭しづかなる

恋のおもひといふ事を

物おもふと我だにしらぬこの頃のあやしく常はながめがちなる(風雅965)

【通釈】思い悩んでいると自分でさえ気づかぬこの頃の――いぶかしいことに――普段はぼんやりしてばかりいる。

【参考歌】藤原行能「続古今集」
物おもふと我だにしらぬ夕暮の袖をもとめておける露かな
  飛鳥井雅有「隣女集」
あやしくもながめがちなる夕べかな我が心こそ日ごろにもにぬ

【主な派生歌】直仁親王「百番歌合」(応永三年-1370-から永和二年-1376-頃)
我ながら物思ふともしらぬ身にあやしくなぞやながめがちなる

雑御歌の中に

西の空はまだ星みえて有明のかげよりしらむ(をち)の山のは(風雅1626)

【通釈】西の空にはまだ星が見えて、有明の月影から白んでゆく、遠くの山の端よ。

【補記】なお星の瞬く西の空と、白み始める東の空との対比。

【参考歌】九条良経「秋篠月清集」
はつせ山をのへの鐘のあけがたに花よりしらむ横雲の空


公開日:平成18年11月14日
最終更新日:平成18年11月14日