舎人吉年 とねりのきね(-えとし,-よしとし) 生没年未詳

伝未詳。舎人氏出身の女性。おそらく女官。天智十年(671)十二月、天智天皇大殯の時、額田王たちと共に挽歌を詠んでいる。また大宰府に赴任する田部櫟子との別れを悲しむ歌がある。

天皇の大殯(おほあらき)の時の歌

やすみしし我ご大君の大御船(おほみふね)待ちか恋ふらむ志賀の辛崎(からさき)(万2-152)

【通釈】我が大君の御船のお着きを待ち焦がれているだろうか、志賀の唐崎は。

【補記】題詞の天皇は天智天皇。志賀の唐崎は滋賀県大津市唐崎。琵琶湖西岸で港があった。

【参考歌】柿本人麻呂「万葉集」1-30
ささなみの志賀の唐崎幸くあれど大宮人の船待ちかねつ

田部忌寸櫟子、大宰に()けらゆる時の歌

衣手に取りとどこほり泣く子にもまされる我を置きて如何にせむ(万4-492)

【通釈】袖に取り縋って泣く子にもまさって別れを悲しんでいる私なのに――その私を置いてあなたが行ってしまわれるなら、私はどうすればよいのでしょうか。

【語釈】◇まされる我を まさっている私であるのに。この「を」は第一に逆接条件をしめす接続助詞であるが、詠嘆の意を含み、また「置き」の目的格をあらわす格助詞の意も兼ねているのだろう。

【補記】万葉集に歌を残している田部櫟子が大宰府に赴任する際、別れを悲しんだ歌。櫟子は「置きてゆかば妹恋ひむかもしきたへの黒髪敷きて長きこの夜を」ほか三首の歌を返している。


更新日:平成15年08月23日
最終更新日:平成20年05月24日