静賢 じょうけん/せいけん 天治元(1124)〜没年未詳

静憲とも。藤原南家。通憲(信西)の息子。母は高階重仲女。八条院高倉の伯父。法勝寺執行法印。平治元年(1159)、平治の乱に連座して安房国に流されたが、のち許されて帰京。後白河法皇の側近として、交渉役を務めるなど政界で活躍した。嘉応二年(1170)の住吉社歌合、治承二年(1178)の別雷社歌合、建久六年(1195)藤原経房主催の民部卿家歌合、建仁元年(1201)八月三日影供歌合、同年の石清水社歌合などに出詠した。藤原俊成顕昭慈円らと親交があった。『治承三十六人歌合』に選ばれている。千載集初出。勅撰入集十首。
以下には勅撰集・私撰集入集歌より計五首を抜萃した。

帰雁

思ひ(いで)もなき我が身さへ()し方はさぞな恋しき帰る雁がね(治承三十六人歌合)

【通釈】この世に何の思い出もない私でさえ、やはり来し方は恋しい気がするものだが…さぞかし恋しいだろうな、親しんだ土地を去って、故郷へ帰ってゆく雁は。

【語釈】◇さぞな恋しき 自分にとっても過去は恋しい。雁にとってもさぞや恋しいだろう。

【補記】平安末期の歌仙三十六人の歌各十首を、歌合形式に番えた『治承三十六人歌合』(撰者未詳)に見える作。

三月(つごもり)の日、皇太后宮大夫俊成がもとによみてつかはしける

花はみな四方(よも)の嵐にさそはれて独りや春のけふは行くらむ(千載131)

【通釈】花は皆、周囲の山から吹き下ろす風に誘われて、散ってしまった。花という友を失って、春は三月晦日(つごもり)の今日、ひとりぽっちで去ってゆくのだろうか。

【語釈】◇春のけふは行くらむ 「春がゆく」とは、春という季節が過ぎ去ることを言う。春を擬人化しているわけであるが、それだけではなく、この歌では作者の孤独な心境を逝く春に託しているように聞える。

【補記】いつとも知れない年の三月晦日、藤原俊成に贈った歌。第二句は「よその嵐に」とする本もある。俊成の返しは「惜しと思ふ人の心もおくれねば独りしもやは春のかへらむ」。

【他出】長秋詠藻、治承三十六人歌合、月詣集、定家八代抄

【主な派生歌】
さそはれて冬もや来ぬるけふは猶しぐれがちなる四方の嵐に(霊元院)

暮秋の心をよめる

うき世をば我もさこそはあきはつれ(ことわ)りなくも惜しきけふかな(月詣集)

【通釈】辛い浮世には、私もほんとうに嫌気がさした。なのに、秋が果てて、道理もなく惜しい気がする今日だことよ。

【語釈】◇うき世 浮世(はかない世)・憂き世(生きるのが辛い世)の両義が掛かる。◇あきはつれ 飽き果つれ・秋果つれの掛詞。

【補記】『月詣和歌集』は賀茂重保の撰になる私撰集。寿永元年(1182)の成立という。

【他出】治承三十六人歌合、月詣集、玄玉集、三百六十番歌合

恋の歌とてよみ侍りける

身の憂さを思ひ知らでややみなまし逢ひみぬ先のつらさなりせば(千載896)

【通釈】逢ってくれようとしなかった頃も、あの人の薄情さに辛い思いをしたけれど、それだけだったら、これほど悶々とした恋の苦しみは知らずに済んだだろうになあ。

【語釈】◇身の憂さ 自分の境遇に対する憂悶の思い。ここでは、恋人の薄情さを原因とする恋の苦悩を言っている。◇やみなまし 終わっていただろう。助動詞マシは、現実に反する仮定のもとで「こうなっていただろう」と予想する心をあらわす。この歌では、「いっそ逢わなければ…」という後悔の心を含んでいる。◇逢ひ見ぬ先のつらさ 逢瀬を遂げる以前の辛さ。「つらさ」は、相手の薄情さと、それによって引き起こされる己の内心の苦しみと、両方を含んで言う詞。

【補記】『月詣和歌集』では題「遇不逢恋」。逢瀬を遂げた後、逢い難くなった恋。

【参考歌】永源「後拾遺集」
恋してふことを知らでややみなましつれなき人のなき世なりせば

【主な派生歌】
身の憂さを思ひ知らでややみなまし背くならひのなき世なりせば(西行[新古今])

都を離れて遠くまかること侍りける時、月を見てよみ侍りける

あかなくにまたもこの世にめぐりこば(おも)がはりすな山の端の月(千載996)

【通釈】いくら眺めても見飽きることがない、都にいて見る山の稜線の上の月よ――私は今都を離れ、遠くへ旅立たねばならない。おそらく現世でおまえを見るのはこれが最後になるだろう。もし生きて再びこの世に転生することがあったら、その時は、変わらない顔つきで迎えてくれよ。

【補記】平治の乱に連座して安房国に流される時の作か。

【他出】治承三十六人歌合、月詣集

【本歌】在原業平「古今集」
あかなくにまだきも月の隠るるか山の端にげて入れずもあらなむ


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成21年04月16日