道因 どういん 寛治四(1090)〜没年未詳 俗名:藤原敦頼(あつより)

藤原北家高藤の末裔。治部丞清孝の息子。母は長門守藤原孝範女。子に敦中ほかがいる。
従五位上右馬助に至る。承安二年(1172)三月、藤原清輔が催した暮春白河尚歯会和歌に参加、この時「散位敦頼八十三歳」と記録されている(古今著聞集では八十四)。その後まもなく出家したか。
歌壇での活動は主に晩年から見られ、俊恵の歌林苑の会衆の一人であった。永暦元年(1160)、太皇太后宮大進清輔歌合、嘉応二年(1170)の左衛門督実国歌合、安元元年(1175)及び治承三年(1179)の右大臣兼実歌合、治承二年(1178)の別雷社歌合などに出詠。また承安二年(1172)には広田社歌合を勧進した。
鴨長明『無名抄』には、歌への執心深く、秀歌を得ることを祈って住吉神社に月参したとある。没後、千載集に二十首もの歌を採られたが、これは最初十八首だったのを、編者藤原俊成の夢に現れ涙を流して喜んだのを俊成が憐れがり、さらに二首加えたものという(『無名抄』)。『歌仙落書』には歌仙として六首の歌を採られている。同書評に「風体義理を先としたるやうなれども、すがたすてたるにあらず。すべて上手なるべし」とある。小倉百人一首にも歌を採られている。私撰集『現存集』を撰したが、散佚した。千載集初出。勅撰入集四十首。

  2首  4首  3首  3首  3首 計15首

花の歌とてよめる (二首)

花ゆゑにしらぬ山路はなけれどもまどふは春の心なりけり(千載62)

【通釈】毎年花を尋ねて歩き回ったおかげで、知らない山路とてないけれども、やはり春が来ると心はあれこれと迷ってしまうのだった。いつ咲くだろう、咲いたらどの花を見に行こうか、等々と思い悩んで。

 

ちる花を身にかふばかり思へどもかなはで年の老いにけるかな(千載95)

【通釈】花の散るかわりに我が身を差し出したいとまで思ってきたけれども、それもかなわないまま、年老いてしまったことよ。

題しらず

山のはに雲のよこぎる宵のまは出でても月ぞなほ待たれける(新古414)

【通釈】すっかり暗くなって、もう月が出たかと眺めてみたら、山の稜線に雲がたなびいている。こんな夜は、月の出のあとも、さらに月が待たれるのだ。

夜泊鹿と云ふことを

みなと川夜ぶねこぎいづる追風に鹿のこゑさへ瀬戸わたるなり(千載315)

【通釈】湊川を夜船で漕ぎ出してゆく。その追風に乗って、背後の山で鳴く鹿の声さえも船といっしょに海峡を渡ってゆくんだ。

【語釈】◇みなと川 摂津国の歌枕。六甲山の背後に発し大阪湾に注ぐ。

鹿の歌とてよめる

夕まぐれさてもや秋は悲しきと鹿の()きかぬ人にとはばや(千載321)

【通釈】ほの暗い夕方、鹿の哀れ深い声が聞こえてくる――この鹿の声を聞いていない人に問うてみたいものだ。それでもやはり秋は悲しいものか、と。

【語釈】◇さてもや そうであっても。「や」は疑問。下句の「鹿の音きかぬ」を受け、「鹿の声を聞かなくても」の意となる。

【補記】秋の夕暮は悲しいものとされたが、その悲哀も鹿の声を聞けばこそ。鹿鳴の哀感の深さを、人に問いただす形で強調している。

【主な派生歌】
秋風はさてもや物のかなしきと荻の葉ならぬ夕暮もがな(藤原家隆[続古今])

大井川に紅葉見にまかりてよめる

大井川ながれておつる紅葉かなさそふは峰の嵐のみかは(千載371)

【通釈】ああ、大井川の水に浮かび、流れ下ってゆく紅葉よ。そうか、散るように紅葉を誘うのは、峯の嵐だけではなかったのか。川の流れだって、紅葉を誘うものだったのだ。

時雨の歌とてよめる

嵐ふく比良(ひら)の高嶺のねわたしにあはれ時雨(しぐ)るる(かみ)な月かな(千載410)

【通釈】比良山には嵐が吹き、聳える峰々をわたる風に雲が運ばれて来て、ああ、時雨れてきたよ。なんてわびしい神無月だ!

【語釈】◇時雨 ぱらぱらと降ってはやむ、晩秋から初冬にかけての通り雨。和歌では涙を暗示する場合が多い。◇ねわたし 嶺から嶺へ渡る風。

千鳥をよめる

岩こゆるあら磯浪にたつ千どり心ならずや浦づたふらむ(千載426)

【通釈】岩を越して荒々しい磯波が打ち寄せると、千鳥はたまりかねたようにその場を飛び立ってゆく。こうして千鳥は、心ならずも浦から浦へとさまよってゆくのだろう。

氷の歌とて読る

月のすむ空には雲もなかりけりうつりし水は氷へだてて(千載441)

【通釈】月が冴え冴えと光る冬の空には、雲ひとつないよ。秋の間、月を映していた水面は、いま氷が張りつめて、月を隔てているけれども。

題しらず (二首)

思ひわびさても命はあるものを憂きにたへぬは涙なりけり(千載818)

【通釈】恋に思い悩んだり嘆いたり。それでも何とか命は怺えているのに、辛さに耐えきれないのは涙なのだ。

【他出】百人一首、釈教三十六人歌合

【参考歌】
世中のうきもつらきもつげなくにまづ知る物は涙なりけり(古今読人不知)
つらさには思ひ絶えなむと思へどもかなはぬ物は涙なりけり(忠教[堀河艶書歌合])

 

なれてのち死なん別れのかなしきに命にかへぬ逢ふこともがな(千載725)

【通釈】恋人と馴れ親しんで、その後で死ぬことになってしまったら、別れはどんなにか悲しいだろう。それを思えば、なんとか命と引き換えにせずにあの人と結びつきたいのだ。

【語釈】◇命にかへぬ逢ふこともがな 逐語的に訳せば、「命と引き換えにしない『逢うこと』がほしい」。「逢ふこと」とは、逢瀬を得て人と固く結ばれること。

入道前関白太政大臣家哥合に

紅に涙の色のなりゆくをいくしほまでと君にとはばや(新古1123)

【通釈】恋しさに、袖に染みた涙の色は紅に変わってゆくよ。なのにあなたは気づいてくれないのか。いったい何度繰り返し染めればいいのかと、あなたに訊いてみたいもんだよ。

【語釈】◇入道前関白太政大臣 九条兼実。◇いくしほ 「しほ」は布を染料にひたす回数。

尾張国に知るよしありてしばしば侍りける比、人のもとより「都の事は忘れぬるか」といひて侍りければ、つかはしける

月みればまづ都こそ恋しけれ待つらむとおもふ人はなけれど(千載521)

【通釈】月を眺めれば、まっさきに都を恋しく思いますよ。私を待ってくれている人がいるとは思いませんけれども。

述懐の歌とてよめる

いつとても身のうきことはかはらねど昔は老をなげきやはせし(千載1080)

【通釈】これまでの人生、いつだって我が身の上を思えば憂鬱だった。それはずっと変わらないのだけど、昔は老いを歎くなんてことがあったろうか。年老いた今、さらに嘆きの種は増えたのだ。

皇太后宮大夫俊成家に十首歌よませ侍りける時

身につもる我がよの秋のふけぬれば月みてしもぞ物はかなしき(玉葉702)

【通釈】年を重ねて、私の人生も晩秋を迎えた。だから、秋の夜更けの月を見るにつけ、切ない思いがしてならないよ。

【語釈】◇我がよ 「よ」に世(年齢)・夜の意を掛ける。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日