藤原顕綱 ふじわらのあきつな 長元二〜康和五(1029-1103) 号:讃岐入道

生没年は尊卑分脈による。没年は嘉承二年(1107)頃ともいう。傅大納言道綱の孫。参議兼経の子。母は藤原順時女、弁乳母。和泉守道経・堀河院乳母伊予三位兼子・讃岐典侍(長子)らの父。
丹波・讃岐・但馬などの国守を歴任し、正四位下に至る。康和二年(1100)頃、出家。
承暦二年(1078)の内裏歌合をはじめ、多くの歌合に出詠。家集『讃岐入道集』(顕綱朝臣集とも。以下「顕綱集」と略)がある。後拾遺集初出。勅撰入集二十六首。法成寺宝蔵の万葉集を書写したという。

春風夜芳といふ心をよめる

梅の花かばかりにほふ春の夜のやみは風こそうれしかりけれ(後拾遺59)

【通釈】梅の花は、姿は見えず、香ばかりが匂う。何て芳しく匂うのだろう。こんな春の闇夜は、風の吹くのが嬉しいなあ。

【語釈】◇かばかり 「これほど」「香ばかり」両義の掛詞。

寛治八年、前太政大臣の高陽院の家の歌合に、桜の歌とて

花ゆゑにかからぬ山ぞなかりける心は春の霞ならねど(千載49)

【通釈】桜の花のために、心にかからない山とてないよ。私の心は春の霞ではないけれど。

【語釈】◇前太政大臣(さきのおほいきおほまうちぎみ) 藤原師実◇高陽院 賀陽院とも書く。二条城の東北にあたる。もと賀陽親王邸だった邸を、藤原頼通が治安元年(1027)に自邸として拡張し、その後師実に受け継がれた。◇かからぬ 霞の縁語。

京極前太政大臣の高陽院の家の歌合に、雪の歌とてよめる

外山には柴の下葉も散りはててをちの高根に雪ふりにけり(千載571)

【通釈】里から見える端山では雑木の下葉がすっかり散り果てた。そして、その向うに聳える峰々には雪が降り積もっているのだった。

【語釈】◇外山(とやま) 深山(みやま)・奥山の反意語。山地の外側をなし、平地と接している山々。

百和香(はくわかう)にくららの花をくはふとてよめる

まどはずなくららの花のくらきよに我もたなびけ燃えんけぶりに(顕綱集)

【通釈】私もいずれ死んで闇路を行くだろうが、その時も惑わずにな。苦参(くらら)の花よ、おまえの名にちなむその「冥」い夜――私の亡骸も、燃える煙に迷うことなく棚引けよ。

【語釈】◇百和香 五月の節句に、百種の香料から調製するという薫物(たきもの)の名。◇くらら 苦参。マメ科の植物。根の汁は苦いが、薬に用いられる。◇燃えんけぶりに 薫物の煙に、死後の火葬の煙を暗示。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日