壺菫 つぼすみれ 学名:Viola grypoceras

 鎌倉市二階堂にて

早蕨が萌え出る頃、山に野に淡い紫の花をつけるタチツボスミレ(立壺菫)。万葉集以来、和歌に好んで詠まれた「つぼすみれ」はこの花ではないかと思われる。現在ツボスミレと呼ばれているのは白花を咲かせる菫であるが、「野べにおふる薄紫のつぼすみれ誰なつかしき色にそめけむ」(月詣和歌集)、「はこね山薄紫のつぼ菫二しほ三しほたれか染めけむ」(夫木和歌抄)など、歌に詠まれた「つぼすみれ」は薄紫の花とされているからである。

『万葉集』 大伴田村家大嬢の、妹坂上大嬢に与ふる歌一首

茅花(つばな)抜く浅茅(あさぢ)が原のつほすみれ今盛りなり我が恋ふらくは

「春になると茅花を引き抜く浅茅の原――そこに今を盛りと咲く壺菫のように、私があなたを恋しく思う気持もいっぱいだよ」という歌。坂上大嬢を「つほすみれ」(上代、壺は「つほ」と濁らずに発音したらしい)に喩えて、可愛がっていたこの異母妹に思いを伝えた歌である。
菫は可憐さゆえ古来少女に擬せられることが多かった。山部赤人の代表作「春の野にすみれ摘みにとこし我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける」にしても、菫の花を通して、野に遊ぶ素朴な娘たちへの愛着をほのめかしているように思える。

源有房集』 すみれところどころ

をとめごが真袖につめるつぼすみれ野に見るよりもなつかしきかな

「真袖」は「片袖」の対語で両袖の意。「なつかしき」は赤人の歌の「野をなつかしみ」を意識した詞遣いであろう。両腕いっぱいに抱えられた菫の花は、若々しい少女の満ち溢れる命の豊かさと歌人の目には見えたことだろう。

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  『万葉集』(高田女王歌一首)
山吹の咲きたる野辺のつほすみれこの春の雨に盛りなりけり

  『千載集』(すみれをよめる) 藤原顕季
きぎす鳴く岩田の小野のつぼすみれしめさすばかり成りにけるかな

  『堀河百首』(菫菜) 河内
思ふどちならびのをかの坪菫うら山しくも匂ふ花かな

  『新続古今集』(菫菜を) 藤原俊成
むらさきの根はふ横野のつぼすみれ真袖につまん色もむつまじ

  『俊成五社百首』(菫菜) 藤原俊成
むらさきの野辺の芝生のつぼすみれかへさの道もむつましきかな

  『寂蓮法師集』(杜間菫菜) 寂蓮法師
色ふかきしのだの森のつぼすみれ千重のしづくや袖に染むらん

  『拾玉集』 慈円
故郷は庭もまがきも荒れゆけど心とどまるつぼすみれかな

  『続後拾遺集』(題しらず) 藤原定家
春雨のふる野の道のつぼすみれ摘みてをゆかむ袖はぬるとも

  『拾遺愚草員外』 藤原定家
ふるさとと荒れゆく庭のつぼすみれただこれのみや春をしるらん

  『雪玉集』(菫菜) 三条西実隆
うすくこきみどりの野べをむらさきになかば色どるつぼすみれかな

  『黄葉集』(菫菜) 烏丸光広
花に咲く草はまれなる春の野に色をふくめるつぼすみれかな

  『漫吟集』(菫) 契沖
手枕の野をなつかしみつぼすみれ一夜ねてこそつむべかりけれ

  『天降言』(菫) 田安宗武
桜花ちりしく野辺のつぼ菫色うらさえて摘みなむも惜し

  『亮々遺稿』(菫菜) 木下幸文
小山田のあぜの細道せばければ踏まぬ人なき坪すみれかな

  『朱靈』葛原妙子
マンモスが大き臼歯に磨りし草 坪すみれなど混りゐたりしや


公開日:平成22年04月04日
最終更新日:平成22年04月04日

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