和歌 わか

ある人また問ひけらく、「やまとうた」といひ、「倭歌(わか)」といふことはいかが。
(まろ)答へて云はく、「夜麻登于多(やまとうた)」といふは古語(ふること)にあらず。「倭歌」と書くこと出(い)で来て後に、その文字につきていひ出だせる言(ことば)なり。
――本居宣長『石上私淑言(いそのかみのささめごと)

「和食」という言い方がいつから始まったのか知らないが、「洋食」という言葉が使われるようになったあと、それに伴って「和食」もできた、ということははっきりしている。それ以前は、日本人がふだん食べてきた「くいもの」「めし」を、事改めて「和食」などと名づける必要はなかったのだ。

「和歌」という語ははるか昔に遡るが、成立の事情は、似たようなものである。


和歌の語源

和歌は古くは「倭歌」と書いた。この語の初出は万葉集で、天平二年(730)十二月、山上憶良が謹上した一連の歌の題詞「書殿餞酒日倭歌四首」に見える(万葉集巻五、旧国歌大観番号876)。当時は唐に対して自国を倭と称することが多かったから、唐の歌詩と区別するために、日本の歌を倭歌と記したのである。憶良はほかに「日本挽歌」などという書き方もしている(「日本語で書かれた挽歌」の意味)。おそらく倭歌という言葉の創案者は憶良であったと思われる。

一方「和歌」は、「和する歌」という意味で万葉集に頻出するが、これは今言う和歌とは別物である。倭国が大和国へと変更されたのに従って倭歌の倭を和に取り替えたのが「和歌」である。

和歌はもともとは漢文用語であり(和文では「うた」、または「やまとうた」)、平安時代になるとよく用いられるようになった。やがて仮名書きの物語などにも見えるようになる(源氏物語にも用例がある)。

なお、和歌は漢詩に対する語だという説明がよくされるが(『広辞苑』にもそう書いてある)、語源的に言うと、正確ではない。「楚歌」などのように、中国にも代々の国名をつけた歌がある。そうした海彼の「*歌」に対する意識もこめて「倭歌」と名づけたことが考えられる。


和歌の定義

たとえば『広辞苑』が和歌を「上代からわが国に行なわれた定型の歌」と定義しているのは、少なくとも近現代の用法としては穏当であろう。短歌・長歌・旋頭歌などがそれにあたる。しかし、では近代短歌は和歌なのだろうか? 記紀に収められた歌謡はどうなのか、連歌はどうなのか、などと考えると、和歌の範囲を確定するのはそう簡単ではない。

上に見たように、和歌の「和」は日本を表わしているにすぎない。和歌とは要するにJapanese songである。それならば、日本語でうたわれる歌は、「歌」と呼ぶに値する限り、すべて和歌と言ってもよさそうなものであるが、和歌が一つのジャンルとして、その他の歌(催馬楽、今様、小唄、浄瑠璃、都々逸、などなど)からはっきり区別されてきたことは、歴史的事実なのである。

古今集の頃にはもう、和歌は事実上三十一文字(みそひともじ)、すなわち短歌とほぼ同義になっていた。長歌や旋頭歌は「雑体」の巻に収められているように、もはや特殊な和歌(例外)に過ぎなかったのである。

わが国のさまざまな歌の中で、もっとも古い由緒をもち、格調の高いものと考えられてきたのが和歌であった。この呼称が用いられ続けてきた歴史には、この形式こそが日本の韻文学を代表するものであるという思いが籠められていただろう。明治時代に「和歌」という呼び名が捨てられた原因の一端も、そこにあったはずである。


(C)水垣 久 最終更新日:平成15年4月30日
歌学用語辞典へ|「歌学・歌論」目次へ