略伝 718(養老2)年、2月から3月にかけての美濃国行幸の時、「伊勢国に幸しし時、 安貴王作歌」(03/0306)。養老末年、因幡八上采女(藤原麻呂に娶られ浜成を産んだ采女と同一人であろう)を娶り「不敬之罪」で本郷に退却せらる(注)。この時の歌が万葉集の長歌「安貴王歌一首」(04/0534・0535)であるという(同歌左注)。729(神亀6)年3.4、従五位下。天平初年頃、子の市原王が宴で父安貴王を祷ぐ歌(06/0988)がある。731(天平3)〜736(天平8)年頃にも作歌がある(08/1555)。745(天平17)年1月、従五位上。以後の消息は不明。万葉には上記4首入集。
(注)現役の采女を娶ったのであれば、天皇に対する侮辱となり、「大不敬」にあたる。したがって「因幡八上采女」は采女あがりの婦人の字(あざな=通称)であろう。ここに言う「不敬之罪」とは、おそらく八上采女の夫であった藤原麻呂に対する不敬であったと思われる。むろん罪状は姦通であったはずであるが、左注にそれをぼかした表現をとったのは、安貴王に対する編纂者の配慮であろうか。
関連サイト:安貴王の歌(やまとうた)