Yasu Suzuka(第2集)   Wind Mandala 「風曼陀羅」: 1999   Page.1




asu uzuka   鈴鹿芳康

ind andala 「風曼陀羅」

…ピンホールカメラ作品展…



【展覧会記録】
東京展:P.G.I.芝浦 東京都港区芝浦4-12-32 : 1999.6.22〜7.31

京都展:プリンツ・ザ・ギャラリー 京都市左京区田中高原町5 : 1999.10.9〜11.7








#971-1997 Awajisima (Honshu) 








#1105-1998 Ayers Rock (Australia) 








#529-1992 Enbetsu (Hokkaido) 






 風は目に見えない自然の現象であり、曼陀羅としては諸尊の悟りの世界を表現したものである。風と曼陀羅の組み合わせは鈴鹿の旅を通して自然に生まれ出た言葉であり、今後も使われ続けていくだろう。風は見えないが故に、また人間にはあまりにも身近であるが故に、意識されることが少ない。しかし、見えなくても感じることは可能であり、身近であり過ぎても意識することはできるのである。感じること、意識することによって日常への埋没を拒否し、自分を探し続ける鈴鹿の姿が見えてくる。そして彼が歩むその道は遥かかなたの曼陀羅の世界へ続いているようである。
 鈴鹿は旅人である。鈴鹿に対するすべての社会的規定や期待から解き放たれ、陰陽五行に導かれながらあたかもサイコロの目に従うかのように旅の方位を決め、自由な心で人や風景に出会い、偶然と必然の狭間で触れ合うのである。社会生活の中で否応無しに呑み込んできた矛盾や狂気を吐き出し、心を浄化し、新たなエネルギーを与えられるのである。旅は触れ合いであり、それがなければまた今の彼も存在していない。ピンホールカメラは人や風景との出合いの中で「撮った」のではなく、「撮れていた」のである。人や風景と共に生き、生かされる過程が生み出す写真なのである。被写体を求めての写真家の旅とは本質的に異なる所以である。
 そして人間として避けられない肉体的終焉を終りと規定するのではなく、宇宙の循環の一部ととらえることは、魂の存在如何にかかわらず、鈴鹿が人間を信じ、未来に心を託しているからに外ならない。
黄瀬邦夫(随筆家) 

(案内状掲載文転載) 


 
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(2005.06.12)