日本列島・全国郷土玩具の旅

----徳島県篇(1)----

----TOKUSHIMA (1)----


徳島県の郷土玩具ガイド(掲載されていないもの、廃絶品を含みます)

 鳴門市 阿波首人形。阿波竹人形。わんわん凧。

 徳島市 藍搗きお蔵。ヨイヤショ「布団山車」。浄瑠璃人形。
     阿波の首でこ。徳島の角凧。

■参考情報リンク 徳島のホームページ

 →「阿波ナビ」徳島県観光情報提供システム →文化→検索:資料館




阿波踊竹人形
  県内各所の土産物店で「阿波竹人形」を見かけます。 この竹人形は、細い布袋竹(五三竹)を短く切り、節が人形の腰の部分になるようにして、別の竹で手足を作りつけた人形です。「阿波踊り」はその代表的な人形です。
 この竹人形が生まれたのは、戦後間もない頃でした。
 考案者は竹仙こと藤田義治氏(平成3年没)で、当初は体育や工作の先生で、晩年には鳥取大学教育学部で教鞭をとられた方です。
 藤田さんが静岡県磐田市の見付中学校の教員時代(昭和11年頃)、天竜川河口のへんに生徒との遠足に出かけた折、切り捨ててあった細い竹を見て、この廃材の竹になんとか命をあたえてやりたいと思いついたのがきっかけでした。そして、見付で「裸祭り人形」を苦心の末作りだしました。
 その後、鳥取師範学校の教授をされましたが、終戦で感ずるところがあっていったん故郷へ帰り農業を始めようと徳島へ戻りますが、広い畑は農地解放でなくして、再び教員生活にもどりました。
 その後、昭和22年に阿波土産公募美術工芸部門に「阿波踊竹人形」を出品して銀賞(徳島県知事賞)を得ました。これが阿波竹人形の創始です。
 退職後は阿波竹人形創作民芸教室を開き、後継者の育成につとめられ、今日、県内に多くの製作者を見るに至りました。
 藤田義治氏は92歳で亡くなりましたが、孫の卓嗣(たかし)さんが祖父の後を継いで、土産物店などで見る竹人形とは一味ちがった立派な作品を作っています。
 作品には、阿波踊のほかに、「お遍路さん」「巡礼阿波鳴門」など。義治氏の作には、「円盤投げ」「新体操」「騎馬戦」なども残っているそうです。
制作者:藤田卓嗣(たかし)「竹仙堂」:鳴門市大津町矢倉四の越73..TEL:0886-86-4203

藍搗きお蔵
 徳島は藍の名産地で、市内の藍場の浜(現、藍場町)は、かっては藍の積出場として藍蔵が岸に並んでいましたが、昭和20年の戦災でことごとく焼失してしまい、いまはその面影も見られません。
この藍蔵と、当時あった幼児が押して遊ぶ木製遊具「カタカタ」とを、組み合わせたのがこの玩具です。台車を動かすと、杵が順にカタカタと動きます。
 この玩具は、昭和10年頃に後藤隆三郎(平成3年没)さんにより作り始められました。戦後は郷土玩具として小型化して制作されています。現在は、2代目の誠さん(後藤人形館)が受け継いでいます。

浄瑠璃人形■ ■徳島のヨイヤショ
 「藍搗きお蔵」「 浄瑠璃人形」「徳島のヨイヤショ」は、すべて後藤人形館の製作品です。次ページには「阿波首人形(阿波の首でこ)」も掲載してあります。
 「後藤人形館」は、阿波の人形浄瑠璃に使う木偶(でこ)の頭(かしら)に衣裳を付けるのが本業ですが、展示室には名人といわれた工人達の作った頭がずらりと並び、人形芝居の資料館となっています。また、実演も行われます。それとともに阿波地方の特色を生かした多くの玩具を、製作販売しています。
「浄瑠璃人形」と次ページの阿波の首人形(でこ)は、手びねりで作られています。
「ヨイヤショ」は、徳島市内の各神社の秋祭りに担がれる「布団山車(だし)」を玩具化したものです。「ヨイヤショ」とは、祭りが最高調のとき、担ぎ手が山車を高く掲げたり、また時には宙に放り上げる際の「掛け声」で、これが呼び名となったものです。
  制作者:後藤 誠「後藤人形館」:徳島市紺屋町20..TEL:0886-23-8001

「後藤人形館」のさらに詳しい情報は、
CPH【全国郷土玩具マップ】(リンク)の「徳島県」でご覧いただけます。

   
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(1999.4.4掲載)