02年4月28日第2回横浜市歴史博物館講演会見学記


講演会についてその2

 概要だけ記述します。
 はじめに今泉先生は東北出身で、東北訛りが出てしまうといって会場を和ませてくれました。
 さて、古代の東北地方とは、大体福島県以北の陸奥国、越後国、出羽国としてこの支配領域の拡大政策を以下に推進したかということです。
 まず、「蝦夷とは何か」で、中国の中華思想と王化思想を取り入れて、支配下に組み込まれていない東北北部(大体福島県以北)の先住民のこととしています。
 注意すべきことは、東北北部の人々の文化は多様(詳しくは述べませんが、縄文・弥生の2系統の文化が存在したこと、夷語(日本語の一種?)やアイヌ語系言語を話す人もいたらしく、城柵には通訳がいたと記述があるとのこと)であるにもかかわらず、政治的概念としてすべてをひっくるめて呼んでいることです。
 その政策は、@城柵(城司と兵士)の設置→A移民による建郡という手順で時間をかけて支配領域を拡大(蝦夷の公民化)したということです。
 それについて、城司制、国司、鎮守府、按察使などの官制の解説をしてもらいました。
 そのうち、移民・戦争・造営について詳細な話をして貰いました。
 移民に関し、関東系土器の出土、坂東諸国の郷名が共通しているものが多い点などから、 人的負担・経済的負担を坂東諸国(相模、武蔵、上総、下総、常陸、上野、下野)に多く負わせていることを語っています。(もちろん陸奥・出羽・北陸道諸国も)
 また、戦争・造営に関しても多くの負担を坂東諸国に求め、そのため坂東諸国の農村の荒廃が進んだことで、結果として9世紀はじめには東北経営の政策転換がなされる一原因であると講演してもらいました。


企画展示についてその2

はじめに、常設展示会場内の映像コーナーで見ることのできる、ビデオライブラリ「東へ西へ−古代における人々の移動−」(26分)という今回の企画に併せたビデオについてです。(またダイジェスト版が17分で、こちらはエントランスホールのエレベーター横で見られます)  概要は、税の運搬全般について、@木簡、A租税制度について、B正倉院の布を題材に語られています。  次に、「郡から都へ」と題し、税が郷(里の場合も)→郡→国府→(調邸)→都、と運ばれて事、そして都から郷へ土器などが運ばれた(行くも帰るも言語に絶する苦難の末でしょうね)ことを解説しています。
 「防人について」が語られており、防人の困難さ(兵士自身の、そして徴発し九州へ行かせるための諸国の負担など)を語って西への移動は終わります。
 次の、「東へ」は東北経営と東国社会についてで、宮城県の郡山遺跡や大崎平野の遺跡から、関東系土師器が在地系に混ざって多く出土することがかたられ、さらに武蔵野国の木簡からも東国からの人と者の移動(移民・兵士としての徴発などの強制か)がわかることが示されています。
 そのほか志波城における上総国のもの(こと)らしい墨書土器、秋田城のコップ型土器など関東系土器が出土していることの紹介がありました。
 そして、都の人々の東国に対する武力への期待(これはおそらく大和朝廷時代の武人として関わってきた東国人(稲荷山古墳のオワケ臣・上毛野氏など)の印象が強くあるのではということ)、そしてそれが次の時代の強者(中世の武士)への時代へと受け継がれているとして終わっています。

 まずはじめに感じたのは、「このビデオを企画展示場で流しておくべき」です。
 企画展示の内容について過不足なく表現(すくなくとも展示の項目は網羅されている)されているようだし、しかもアニメーションを多用しており、直感的にわかりやすい。
 ただ、一瞬であるのが欠点だが、そのための展示があるのであり、相互補完的(もちろん展示本体のほうがである)である。

 この企画展に限らず、各遺跡の住居内から出土した土器の数量分析を明示してもらいたい。  解説文の中には、「○○が多く、××と解釈できる」と良くあるが、ちゃんと地域別(種類別)の数量分析や統計的比率をグラフなど(出来ればIT)を多用して、明示すべきではないか。(千葉市立加曽利貝塚博物館の企画展のように)
 もちろん学者のことを信用していないわけではない。
 しかし、専門家ではない目でみると新たな視点が得られ、新たな発展だって可能ではないだろうか。
 そういった工夫で考えさせたりして、必ず企画展示の最後にある単なるアンケートではなく、各テーマごとに目安箱のようなものでも置いて考え・推測・予想・意見・・・を取り入れる工夫も必要ではないだろうか。
 このところが、私の考える参加型展示にする一つの展示方法であると思う。
 さて、ここで疑問に思ったのはどちらを先にするべきかである。
 映像のパワーはよくわかる。
 しかし、それで満足して実物を見ないとなると問題であろう。(私自身、ITだの動画だのアニメーションだ、と云っているくせに、よく言うよ(笑))
 映像を見て、「なるほどそうだったのですか」で実物を見ないで帰ってしまう。
 これではいけないのではないでしょうか。
 やはり博物館は実物であり体験があってこそである。これなくして博物館ではない。
 ということで、やはり実物展示(そして体験)を主として、映像は従とするべきです。
 ただし、映像はもっと多用し発展させていかなければならないと思います。



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