テレビドラマデータベース
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ドラマセレクション
金曜ドラマ
ケイゾク/特別篇
PHANTOM
「死を契約する呪いの樹」
=失われた記憶×消された真実×愛×憎悪×切断死体
×猟奇連続殺人×ダイイングメッセージ×罠 |
作品データ(ドラマ全文検索)
ケイゾク(ドラマ本編)
単発1回、TBS 1999/12/24 金曜21:00〜22:54放送
制作・著作・TBS
演出・堤幸彦 プロデュース・植田博樹 脚本・西荻弓絵
音楽・見岳章 主題歌・中谷美紀「クロニック・ラブ」
出演
中谷美紀、渡部篤郎
鈴木紗理奈、徳井優、木内晶子、生瀬勝久、泉谷しげる、竜雷太
手塚とおる、河原さぶ、矢島健一、有福正志、高木将大
広岡由里子、村井克行、峯村リエ、横山あきお、伊丹幸雄、保積ペペ
モロ師岡、深沢敦、村木仁、永田杏奈、伊藤奈穂、多田木亮佑、吉岡ヒロシ
前原一輝、緒口幸信、おかやまはじめ、吉田メタル
小西康久、瀬戸将大、松永久仁彦、松崎洋二、清水邦彦、和気伸嘉、野村貴志
大山鎬則、椙木真由美、柴山香織、小林つばさ、小島莉子
トライアルプロ、グッドマン
テレビドラマデータベース1999年ドラマベストテン(単発部門・第1位) |
2000年1月投票実施のベストテンでのみなさまのコメントより
(『ケイゾク/特別篇』をベストテンに選択しなかった方のコメントも含まれています)
- シーズン壱(テレビシリーズ)の各シチュエーションを踏襲しながら再構築するという、まさに続編の見本のような特別編。1話と同じく電話のシチュエーションから始まるというのはマニア泣かせ。しかも主役二人を最終回と逆の立場に置き、あのラストを作りたがったがためにストーリーが作られたのでは?とさえ思わせる見事さ。真山のこぼれるような笑顔と柴田の髪を撫でる手とラストの台詞、柴田の嗚咽は忘れられないものとなった。デッドエンドが好きな私でもこの二人に関してはハッピーエンドにしてほしい。映画どうなるのかな?(四谷さん)
- デジャブ!?(なんこつさん)
- ?と思う箇所もありましたが、それがこのドラマの良さなんでしょう。中谷美紀さんと渡部篤郎さんの掛け合いが最高ですね。(YKさん)
- 血まみれの中谷さんの演技が圧巻でした(ももこさん)
- 堤監督の「家族揃って楽しめる表ケイゾク」という言葉にまんまとダマされました。ケイゾクを愛するパワー・ユーザーへの過剰なサービスと裏切りが満載の、瞬く間の2時間だったと思います。新キャラ遠山金太郎が心配だったんですが、私はOKでした。生瀬さんの怪演に『槍魔栗三助』時代を懐かしく思い出してしまいました。(ATCQさん)
- 「ケイゾク」本編よりも、このSPの方に「新しさ」を感じました。「ケイゾク」本編も、「プリズンホテル」も、「新・俺たちの旅」も、すべてこのSPのための準備作業だったんじゃないかという気がしてきます。(^^)(SMAP/Vさん)
放送当時(1999/12)のみなさまの掲示板でのコメントより
- 本編にハマっていたので見たのですが、なんだか演出が忙しかったです。土9のテイストと金ドラのまったり感の調和が好きだったのですが、今回は崩れて、土9ノリが濃くなった印象です。ちょっと残念。最後の中田英二さんの「あ、さ、く、ら…」は、なぜかラビリンスの「パーピーヨーンー」を思い出してしまいました(笑)、発声の仕方が似てたのかな?でも、やっぱり真山さんと柴田純はコンビじゃなきゃね!と最後のシーンは思いました。真山さんの笑顔やっぱり良いです。(じりりんさん)
- ようやく冷静に見直せましたので、感想を。まず、構成ですがやはり見事です。シーズン壱の各シチュエーションを巧みに踏襲し、かつ再構築しながら映画への布石を打つ。特別編は、シーズン壱と映画の橋渡しですから、設定上いつもの柴田と真山の絡み(ボケツッコミ)は、ほとんど出てきません。というよりも、最後の最後で記憶を取り戻す柴田とそれに最高の笑顔で答える真山に行き着くためにあのような展開となったのでしょう。
ケイゾクは一見コミカルでテンポがよいですが、その本質は元々重いのです。
血しぶきに批判もあるようですが、殺人事件を扱っているわけですし、また、オカルトじみた事件を二人が解決していくというのが大筋で、更に、朝倉は快楽殺人者の設定でもあり真山と死闘を繰り広げているのがもう一つの大筋ですので、当然血は流れます。確かに血を流さない演出も出来ます。しかし人は刺されれば血を流すのです。その現実に対して目を背けることの方が、逆に痛みは理解できないのではないでしょうか。「死ぬっていうのは、もっと痛いんだ。」ここ聞き逃しているのでしょうか?
ケイゾクの魅力の一つは、表面ばかり綺麗で、その実、内面は偽善的なものに対しきっちりとシビアに本質を突きつけてくる点にあるのです。だからこそ、好き嫌いが分かれるのでしょうけれど……。
しかし、なぜ「ケイゾク」を取り上げる場合、柴田のキャラばかり取り上げるのでしょう。このドラマは、柴田と真山の二人があって初めて成り立っているのですけれど。その辺をどうして分かってくれないかなぁ。(四谷さん)
- 「ケイゾク」その後ビデオでちゃんとチェックいたしました。いや〜楽しかったです。本編よりバカさもグロさもグレードアップした分、映画もさらに派手にやってくれそうで、期待出来ますね。(ちなみにビデオとフィルムの違いなどから、映画化に懐疑的になっている方もいるかもしれませんが、堤幸彦さんはドラマD歴より映画監督歴の方が長いんですよ〜)
レギュラー陣&生瀬さんの悪ふざけギリギリの怪演をはじめ、犯人役の手塚とおるさんも素晴らしかった。彼を引っぱり出してくれたのは嬉しかったっす。もっとドラマに出て頂きたい俳優さんです。「ケイゾク」見て手塚さんに興味を持たれた方は「ガメラ3」見てね(^^)。さらに伊丹幸雄、穂積ぺぺといった濃いキャスティングもステキ。伊丹氏が映画版に出られるならホラ貝を吹くカット希望(笑)
…しかし楽しめた反面、ATCQさん大ショック(^_^;)の木内晶子ちゃんの首チョンパ死体をはじめ、死体の造形は松井祐一さんという映画の「リング」「らせん」等の特殊造形の方が製作されているので、かなり気合いの入った死体(笑)のうえ、演出も視聴者が「あ、人形だ!」と醒めちゃわないようにちょっとしか映さなかったり、エフェクトかけたり写真で見せたりとかなり上手いゴマカし方をしているので、リアルさ&キモチ悪さ倍増。柴田の「キャリー」ばりの顔面血まみれを含めて、これは中学生以下には見せちゃいかんでしょう。死体や血を見せるなとは言わんけど、番組の冒頭や広告で、親御さんに注意を促すぐらいの配慮は必要だったのでは?
う〜んそれにしても、やっぱり木内さんに関しては植田Pヒドイよとしか言えません(笑)。これからブレイクしようという時に…(笑)。しかもあの殺し方じゃあ首はちぎれんでしょう(笑)。ああ、自分の頭部切断死体製作の為に、頑張って全身の型取りとかやったに違いない木内さん。2000年の君に幸れ!!(^^)
林田刑事役の矢島健一さんについて「ベストフレンド」のマコトの父親役で初めて意識したんですが、よく考えると徳井優さんも出てた「ベスフレ」のキャスティング実は「ケイゾク」の影響を受けていたんですね!(笑) 植田Pつながりで椎名法子ちゃん、堤さんを唸らせた前田愛と、実は「ベスフレ」のキャスティングはかなりエクセレントだったのですね!!(笑)
柴田は無機質なイメージがある中谷さんがやるのだから面白いのだろうし、真山はやっぱり渡部さんしか出来ませんよね。三上さんありがとう(笑)。(メカみさん)
- 「お兄ちゃんから妹へ…って感じがちょっとする愛情」マニアの私には真山と柴田のやりとりは、たまりません。あの最後の真山のセリフのとこなんか、気が遠くなりそうでした。(自分が盛り上がりすぎて)(あおいそらさん)
- ちなみに『ケイゾク/特別篇』は独断と偏見で対象外にしました(評価が難しくて)。(rescueさん)
- 「ケイゾク」は物凄く楽しみにしてた反動で、何か気が抜けてしまいました・・。映画に行くかどうか悩んでいます。(すなフキンさん)
- 「ケイゾク」あいも変わらず、前半と後半のトーンの違い。記憶が戻った瞬間からの、柴田のきりりとした表情に、あー映画見に行かなくちゃーと、思わされてしまいましたね。でもって、夕方やってた再放送をビデオにとって見てしまったんですが、ラストの「映画にケイゾク」のところ。「ノンフィクション」っていうテロップが入っていたんですけど、これって、たしか本放送のときは「フィクション」っていうテロップでしたよね。間違ってますか?私の記憶。(ボブ。さん)
- 血まみれの中谷美紀さん:グロ過ぎて、テレビ的にはキツかった人もいると思いますが、表情や仕草などの演技を含めて圧倒されました(ももこさん)
- やっぱりイイ。映画、見に行こう!(COMETさん)
- 最終回から9ヶ月。もはやこの作品に身内のような愛情を感じているファンは少なくないはずで、どう転んでも賛否両論という状況の中、植田さんと堤監督が二人三脚のまま暴走してくれました。「シーズン壱」自体を元ネタにしたディープなリミックス・バージョンといった趣で楽しむことができました。もともとケイゾクは「シーズン壱」の頃から作風が一定していなくて、私などは「うーん、今週はそうきたか…」というヤラレタ感そのものに惹かれていたんですね。この特別篇はそれが9ヶ月分かためてやってきたという感じ.。痛快でした。あと、作り手が「中谷美紀にどこまでヨゴレな仕事をさせるか」という試みに血道をあげているのが笑えます。「寝たくない女第1位」目指して頑張って欲しい。コネタで一番おもしろかったのは「幸運を呼ぶ金の俵」の広告にちゃっかり載ってた堤監督の写真(笑)。最初気がつかなくて、他のサイトの発言を読んで慌てて見直しました。一回目で気づいた人はエライ。99年は植田プロデューサーの作品に出会えたのが自分にとっては大きいですね。私はこの人についてゆこうと決めました。このさき何をしでかそうと…。(ATCQさん)
- それにしても凄い。SPならちょっと見てみようかな…。そんな物見遊山な視聴者なんてハナっから相手にしちゃいません。まさしくパワーユーザー向けドラマ…だと思ってたら公式ページのBBSに、「最後の30分で初めてケイゾクを知りました。こんなにおもしろいドラマがあったなんて!」という感想を寄せているひとがいた……しまった(笑)。
私はこのファントムを「シーズン壱(レギュラー放送の呼称)」を圧縮して新キャラを加えたセルフパロディだと思いました。ファーストシーンが第一話のそれと一緒だったし、あの結末も。映画ではどうやら「どちらが『こちら側』なのか」というファンタジーへと疾走しそうな気配だし、朝倉という万能装置を作ってしまった以上、「壱」の初期のノリには戻れないし…。SPを作るならこういう展開しかなかったように思います。
ただ、「遠山金太郎」という爆弾キャラが賛否をわけちゃってるみたいですね。うざい、要らないとかひどい言われようですが、確かにあのキャラとエピソードがかなり「壱」でお馴染みのテンポを狂わせていたと感じます。が、しかし…。気に入ってしまったんですよ、彼のこと。「なんで『壱』の頃から彼を出してくれなかったの!」と怒っちゃうくらい…モデルは植田さんですか?(笑)。べたべたですけど作り込んでますよねえ。凄い細かい設定を考えたんじゃないかな。ネタを練ってるときの、スタッフの異様な盛り上がりが目に浮かぶようです。
コネタも凝りまくってましたね。今のハズした、笑い損ねたと思ってもすぐ次の弾がでてくる。「推理切ってもギャグ切るな」「ケイゾクは壮大なイタズラ」…どちらも堤さんのお言葉ですが、痛いくらい伝わりました。しかし「おもしろがってるのは作り手だけ」の手前、きわきわの線までキていると思いました。「パワーユーザー向け」と感じたのはそのせいかも。私的には林田刑事の出番が多いのが嬉しかった。4話の毒が回って死んでなくてよかった。まさか壷さんや斑目より出番が多いとは(笑)。相変わらず腰巾着のくせに仁王立ち…。
もちろん不満もあります。柴田が覚醒する前の真山とのやりとりが希薄すぎます。宿命の二人なんだから、全てを忘れても(生まれ変わっても)かつての関係に辿り着くはずだと確信できるようなエピソードが欲しかった。ラストシーンの墓地ですが、もっとカッコいい場所はなかったんでしょうか。堤フレームの泉ピン子さんをブラウン管で見たかった。お茶の間で流してこそ価値があると思うのに…映画だけとは、残念です。でも不満はこれくらいしかありませんね。なんだかんだ言ってもこのドラマを熱烈に愛しているので、冷静な言葉が出てこない。映画をたのしみにしています。ケイゾクワールドを景気よく粉砕して下さい。(ATCQさん)
- パワーユーザー向け(^_^;)確かに。でも一応一般ユーザーにも分かりやすく端的に触れていただこうという意図も見えました。しかし、本当に楽しめたのは、多分パワーユーザーでしょう。一般ユーザーは、僅かでも網にかかってくれれば良いなという感じかな?
シーズン壱と映画の橋渡しとなる特別編。シーズン壱のシチュエーションを踏襲し、更に再構築、最後は意図的に最終回の柴田と真山の立場を逆転し、かつ映画への布石も残す。二人の絆を再び元に戻し、もっと言えばあの真山の笑顔のために構築されたとさえ感じられる展開。柴田と真山の関係を縦軸にケイゾク事件と朝倉の存在を横軸に、更にコネタの連続と複雑に織り込んでいく。
遠山金太郎の存在は、コメディー・リリーフであると同時に柴田と真山の関係の深さを更に分かりやすくするものでしょうか?弐係内の人間関係を繋ぐ役割もあるのかな?記憶を失っている柴田では、弐係との接点が薄くなりますので、彼は重要なキャラでしょう。もちろん植田Pの真山、柴田、朝倉に次ぐもう一人の分身ですね。2時間枠ではちょいと収まりきれなかったでしょうか。柴田の優秀ぶり(八王子西署未解決事件31件を就任早々、捜査資料のみで解決するエピソードは入れてほしかった)はもう少し出してほしい。「いやん、いやん」で寝ぼけている姿も可愛いですけれど。真山とのボケツッコミがないのは設定上致し方なし。でも「ヘリ」のエピソードもカットなのはなぜ。音楽の選曲が若干変わっていたのは、わざとでしょうか?
何はともあれ真山のとびきりの笑顔と柴田の髪を愛おしく愛撫する手と最後の台詞は、何ものにもかえがたい「ケイゾク」ファンへの最高のクリスマスプレゼントでした。(四谷さん)
- 特別篇をしっかり楽しむことができた私は、てことは、パワーユーザーなわけでしょうか?(^_^)
ただ、私は「金太郎さんはあんまり必要なかったなあ」派なんですけどね。いや、べつに彼のキャラがうざいとかいう理由ではなく、結局、一人相撲するだけのキャラだったでしょ。弐係の誰とも深い関係性を持ち得なかったし(まあ2時間では無理だけど)。
それよりは、柴田のいない弐係の喪失感みたいなものがもっと見たかった。もっと言えば、真山さんの喪失感ね。柴田は我を忘れているんだから、あんな感じで寝ぼけていてもOK。でも、それを見つめる真山さんの視線ていうか、柴田はそこに生きているのに、柴田の中で自分との関係はかき消されている、っていう感じ、そういうのをもっと強く見せてほしかった。やっぱり真山さんあっての柴田であり、柴田あっての真山さんだから。その大事な関係性が欠損した悲しみ、みたいなものがもっと濃く出ていれば、ラストのあの笑顔も、もっともっと映えたと思うんですよ。
あとは、堤監督の演出も微妙に違っているようにも感じました。コネタの出し方とか、方言の使い方とか、エキストラの扱い方とか、あれって「プリズンホテル」の演出ですよね。思いっきり「ウラ堤」のほう。たしかに両方とも堤監督の世界なんだけど、連ドラの時の「ケイゾク」演出とはやっぱり違うから、ファンでも拒否反応というか戸惑いはあったのではないかな。まあ、パワーユーザーにしてみれば、それすら取り込んで楽しんでしまうわけなんだけど。
それともう一つ。文句が多くて恐縮ですが、あの冒頭の彩の独白。あれも私、いらないんですけど。私にとって「柴田と真山さんの生と死」は、あくまでも、あの2人と朝倉との関係の中だけで繰り返されるエピソードだから、第三者の視線は必要ないし、ましてや脇キャラの彩の出る幕じゃないんです(彩さん、好きだけどね)。たとえサブタイが「AYA’s PHANTOM」であろうと、あれは余計だなあって思っちゃいました。それに「ケイゾク」というドラマ世界には、モノローグとかナレーションという手法は全然似合いませんしね。
柴田が死に真山さんが残された最終回、真山さんが死に柴田が残された特別篇。裏と表、生と死、夢と現実・・・。「死は無限だ」と言ったのは朝倉。「死んだらすべて終わりだ」と言ったのは真山さん。この2つの台詞がやけに気になります。
「/映画」はどうなっちゃうんでしょうかねえ。(HKさん)
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テレビドラマデータベース 作品データ(ドラマ全文検索) ケイゾク(ドラマ本編)

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