季刊カステラ・2001年冬の号

◆目次◆

方法的怠惰
プリンプリン物語大辞典
奇妙倶楽部
編集後記

『方法的怠惰』

●ちょっと似てるシリーズ●

♪ゆーやけこやけでひがくれてー と ♪むーらのちんじゅのかーみさまのーは節がちょっと似てる。
「おたまじゃくしは蛙の子」と「ごんべさんの赤ちゃん」も節が同じだが、これはもともと同じ曲に別の歌詞を付けたものだ。

●不定形俳句●

昨日・狂・明日
ゴダールでござーる

●大喜利・古墳編●

【出題】ジパング国の古代皇帝ニントク1世の墳墓であると伝えられている巨大な遺跡は、ジパング国の法律で誰も中に入ることはできません。そのの中に隠されているものとは。
【回答】宇宙人の死体
【回答】アムロが紅白で使ったメイクセット
【回答】無人で金を高利で貸す機械
【回答】エビのゾエア幼生
【回答】トナカイの着ぐるみ
【回答】テレビの「しばらくお待ちください」のときに出てくる絵
【回答】ハレム
【回答】野望、あわわ間違えた、希望
【回答】紅茶キノコ

●大喜利・落下編●

【出題】UFO研究家の吉田さんの家の屋根を突き破って落ちて来た物とは何?
【回答】保健室
【回答】若田光一さん
【回答】伊丹十三さん
【回答】バンジージャンパー
【回答】岡田有希子が三人
【回答】パイレーツ(付き落とした人の気持はよく判る)
【回答】直径3メートルの巨大なコンタクトレンズ。なぜコンタクトレンズだと判ったかというと、小柄な若い女性が「コンタクト落としちゃって…」と言いながら訪ねて来たから。四時間かかって全体に唾液を塗り、上を向いて装着しようとしたが重くて持ち上がらず、仰向けにばったり倒れると、コンタクトレンズを彼女の上に伏せたようになり、小さな透明なドームに閉じ込められて彼女は出られない。「ソフトタイプにすればよかった…」泣きべそ。
【回答】鎧兜に身を固めた武士。吉田家の居間にすっくと立ち上がって叫んだ。「落ち武者!」
【回答】鞍を着けたサラブレッド。吉田家の居間にすっくと立ち上がると、なぜか人間の声で叫んだ。「落馬!」

●大喜利・歌会編●

【出題】次の下の句(七七)に上の句(五七五)を付けてください。
   たった一夜で消えてなくなる。

【回答】CGI調子悪すぎ過去ログがたった一夜で消えてなくなる
【回答】冬が来てダンボールに住むホームレスたった一夜で消えてなくなる

●大喜利・リサイクル編●

【出題】ちょっと意外な使用済み品の再利用。
【回答】女房を女郎に(意外じゃないか)
【回答】人間を猿に
【回答】火葬の熱で発電

●大喜利・苦渋の選択編●

【出題】財源確保のため与党が検討している新たな税制とは?
【回答】合コン税
【回答】嘘税「嘘は付いたことがありません。本当です」
【回答】超能力税
【回答】UFO税
【回答】ポルターガイスト税

●大喜利・アイアムソーリー編●

【出題】以下の会話におけるAさんの台詞を考えてください。
    A「    」
    B「森政権みたいなものか」

【回答】A「隣の空き地に囲いができたってねえ」
    B「森政権みたいなものか」
【回答】A「勝新が昔、人死にまで出してる映画を堂々と掛けてたよね」
    B「森政権みたいなものか」
【回答】A「三田佳子の女優生命はどうだろうねえ」
    B「森政権みたいなものか」
【回答】A「愛は惜しみなく奪う」
    B「森政権みたいなものか」

●大喜利・タトゥー編●

【出題】新しい刺青の図案を考えてください。
【回答】JISマーク
【回答】視力検査表
【回答】スケジュール表(予定が書き込める)

●大喜利・最後の審判編●

【出題】地球を襲った、今世紀最後の大災害とは。
【回答】コギャル大繁殖
【回答】サンタクロース「えー、これまでに皆様にお渡ししてきた玩具類は贈与ではなく借与です。今世紀の内に、利子を加えた相当額を返済してください。物納も可です」そして、強引で執拗な取り立てが始まったのである。
【回答】世界同時忘年会
【回答】世界同時ゲロ

●大喜利・自分探し編●

【出題】精神科医を驚愕させたホームトレーダーの斉藤さんが作った箱庭とはどんなもの。
【回答】チェス板
【回答】家、人、木などが隙間なく詰め込まれているが全て水没している
【回答】競馬場
【回答】蟻地獄
【回答】地上げ屋がいる
【回答】迷路

●大喜利・予知能力編●

【出題】占い師の門倉さん、よく当たるのに一向に客が増えないのはなぜ。
【回答】発破占いは危なくてしようがないから
【回答】自分で客足を占えばよい、ということに気がつかない
【回答】腹話術占い(それも口と声が合っていない)では信憑性がないから
【回答】門倉さんはカマキリだから

●大喜利・ダイナソー編●

【出題】フリーターの石橋さんだけが知る、恐竜絶滅の本当の理由とは。
【回答】バブル崩壊
【回答】メランコリー
【回答】サンタクロースは実在しないと知ったショックで
【回答】狐憑き
【回答】大風が吹いた→埃が立った→眼の悪い人が増えた→三味線を習う人が増えた→三味線が増産された→猫が減った→鼠が増えた→なんやかんやあって絶滅
【回答】メロンの奪いあい
【回答】オムレツが大流行して、産む端から卵をみな食べた

●本について●

 出版氷河期と言われて久しいが、相変わらず本は売れていないらしい。本来なら不景気の時こそ本は売れるべきなのである。本ほど安い娯楽はないからである。映画の入場料は今1,800円くらいだと思うが、1,800円出したら相当立派な本が買える。レンタルビデオが一泊いくらか知らないが、公立図書館なら本は無料で借りることができるのである。コストパフォーマンスにおいて、本に対抗できる唯一の娯楽はテレビであろう。受像機などの初期投資は必要だが、その後は、地上波民放ならわずかな電気代だけで楽しむことができる。本に対してテレビの有利な点はその手軽さである。本を買ったり借りたりするには書店や図書館に行かなければならないが、テレビ番組は家でごろごろしていても、向こうからどんどん勝手にやって来るからである。
 この点を克服するために、本の自動配送システムということを考えたことがある。「幻想文学コース」だの「冒険小説コース」だのを指定しておくと、その分野のお薦め品が月に一冊ずつ書店から自動的に届けられ、代金はカードで支払うというものである。誰かこのアイデアを買わないか。買わないだろうな。
 本が売れないものだから出版社は薄利多売を目指して、いよいよ沢山の本を作るものだから、書店には次々と本が配本され、売れない本はどんどん書棚から押し出されて返品されるという。したがってじわじわと売れていくタイプの本は企画されず、ほとんどの本は重版がかからないらしい。重版をせず一定時期で回収するのだったら最初から雑誌の形式で作ればいいと思う。「月刊単行本」である。体裁を固定してしまえばコストも低く押さえられる。実質的にはシリーズもののペーパーバックだが、雑誌の形式なら広告も入れることができる。1,000円くらいで、単行本2〜3冊くらいの分量が収録されればお得感もある。誰かこのアイデアを買わないか。買わないだろうな。
 歴史のある出版社なら、過去の蓄積があるのだから、優れたものを選んで、それも雑誌形式で再刊したらどうか。「季刊文学全集」である。ターゲットは本を読みたいが何を読んでいいか判らない人、これまで自分が読んできた以外の新しい分野に挑戦してみたい人など。したがって出来るだけ幅広い分野から作品を選ぶ必要がある。児童向けのものを作れば、自分は本を読まないくせに子供には本を読ませたい親に喜ばれるだろう。どうでもいいけど、中間小説雑誌を含めて文芸雑誌の表紙はダサイよ。もう少しなんとかならんか。俺の頭の中ではすでに、やはり過去の蓄積を利用した表紙や扉、本文のレイアウトのラフがある。誰かこのアイデアを買わないか。買わないだろうな。
 この企画の欠点は、対象読者が言ってみれば読書初心者で、書店の文芸雑誌の棚など見そうにないことである。テレビCMなどの大規模な広告を打てば効果があるだろうが、今の出版社にそんな予算はない。大きな企業が文化事業として協賛してくれなければ無理である。
 だいたい出版社はちゃんと営業しているのか。本が売れないのであれば、他のメディアと積極的にタイアップしてはどうか。コンテンツを欲しがっているメディアは沢山ある。映像メディアの他にもゲームやコンピュータ、インターネットなどなど。少なくとも、ダイレクトメール代わりに関連企業に出版している雑誌を全て送り付ける、くらいのことはしているのだろうか。送り付けた雑誌が不要になったら、無料で回収するくらいのサービスはしているのか。その時、アルバイトや運送業者ではなく営業部員が行って顔つなぎをするくらいの努力はしているのか。また、メディア関係以外の企業でも、広告以外に思いもよらない協力が出来るかもしれない。
 たとえば、繊維メーカーと共同で「月刊Tシャツ」を発行する。デザイナー、イラストレーター、写真家、漫画家といった人たちにTシャツのデザイン画を描いてもらい、読者の投票で最も人気の高かったものを通信販売のみの限定商品として商品化するとか。もちろん読者からもデザインを公募する。誰かこのアイデアを買わないか。買わないだろうな。
 あるいは百円ショップに雑誌を置かせてもらってはどうか。薄っぺらい雑誌に短編小説や長めのエッセイが収録されている。「週刊百円文庫」である。誰かこのアイデアを買わないか。買わないだろうな。
 オンライン書店も思ったほどふるわないらしい。当然といえば当然である。欲しい本の書名がはっきりしていれば、オンライン書店は大変に便利だが、多くの場合、本を買う時には目次を見たり、中をぱらぱらとめくってみたりして買うものだからである。したがって、この目次やぱらぱらの部分をオンラインで実現させれば、売り上げが伸びる可能性がある。ほとんどの書店サイトには、新刊紹介や売れ行きランキングの頁があるが、内容はどこも似たり寄ったりである。だったら、書店サイトが共同で新刊紹介とランキングのサイトをひとつ作り、各サイトからリンクしてはどうか。そうして、各書店サイトは特色ある独自の書籍紹介をすればよい。誰かこのアイデアを買わないか。買わないだろうな。

『プリンプリン物語大辞典』

はんどぶっく【ハンドブック】
手の本。
かーおぶざいやー【カー・オブ・ザ・イヤー】
耳の車。

『奇妙倶楽部』

●君の名は●

「三つのジムノペディー」で有名な作曲家のエリック・サティの作品には「右や左でみたこと(メガネなしでも)」というのがあります。「犬のための、だらだらした前奏曲」というのもあります。こちらは出版を断られたそうです。そこで、サティーは「犬のための、本当の、だらだらした前奏曲」というのを書きました(ちなみに、サティーは、犬のため芝居を書こうとしていたそうです)。サティはラヴェルと同時代の作曲家ですが、ラヴェルの「高雅で感傷的なワルツ」の初演の3年後に「気むずかしいしゃれ者の三つのお上品なワルツ」という曲を書いています。
芸術家というのは油断のならない種族で、絵画でも奇妙な題名は多く、「ミシンとこうもり傘が解剖台の上で出会った」(ロートレアモン)などというのもあります。シュールリアリスム系は宝庫だと思いますが。ちなみにこのあたりが、滑稽堂本舗ではじめた「不定形俳句」の元ネタになっております。

●最近知った気分で●

 音楽の記号で「< (だんだんつよく)」「mp (やや弱く)」「# (半音あげる)」「| (4分音符のスタッカート)」なんてのがありますね。記号が出ませんけど、「はねるような感じで」とか。楽譜に言葉で指示してある事もある。サティの「まじめに、でも涙なしに」「静かに 手間どらずに」「とっても“朝9時らしい音楽”」というのも抜群に素敵ですが。
 深夜番組「松本人志の一人ごっつ」の「お笑い共通一次」という企画で次のような問題が出ました。「音符の記号の問題です。残りの記号が何を意味するか書きなさい。(8点満点)」とあって、その下に本物の記号の例と、でたらめな記号が書いてある。でたらめな記号の意味を回答するわけですが、「だんだん黒く」「ぐずって」「子育ての合間をぬって」「あいつの分まで」「無理を承知で」「岐阜県民のみ」「やっぱ半音あげる」「酒の力で」など傑作が寄せられていました。
 楽譜では演奏者への指示ですが、ほかの分野の表現作品の題名としては、鑑賞者への指示も考えられますね。実際に現代美術では鑑賞者が参加して初めて成立する作品も多くなっています。触れたり、操作したりする芸術ですね。
 それから糸井重里氏の「萬流コピー塾」があったな。よく覚えていないけど。“体育教師”というお題で「職員会議で突飛な意見」とか。

●こんな話を聞きました●

 その人が言うには、「以前テレビで『水蕎麦』なるものを見ました。そこは水がおいしいそうで、つゆではなく水に浸けて蕎麦を食べる」のだそうです。かつがれたんでしょうか?

●「雄弁な農夫の物語」●

 ケティ王という王が治めていたころの古代エジプトの物語である。
「塩の原」と呼ばれるナイル河からかなり西に離れたワディに住む農夫(農業ではなく塩の原の特産物を商うことを本業としていたとも考えられる)が、食料を調達するために、ロバの背に塩の原のさまざまな特産物を積んで、王都ヘラクレオポリスをめざして、ナイルの谷へと下っていく。ところが王都の手前で悪質な官吏に言いがかりをつけられて、品物をロバごと奪われてしまう。農夫はこの官吏の上役のところに行き、窮状を訴え、そこで雄弁を揮う。この上役は自分のところに雄弁な男が訴えに来ていることを王に報告する。現在もそうであるが、エジプトでは雄弁がもてはやされる傾向にあった。ケティ王も同じで、その農夫の訴えには答えずなるべく長引かせ、ひきとめて、農夫の言葉を逐一記録して届けるように命じる。さらに農夫とその家族には食料を提供して、暮らしを成り立たせるように指示をする。
 農夫は九度訴えに来て、雄弁を揮うが、聞き届けられないとわかると自殺しようとする。その時になって農夫の訴えは取り上げられる。写本の最後は欠けているが、全てが農夫の望み以上になったと考えられる。
(「ファラオのエジプト」吉成薫著 廣済堂出版より)
 写本の最後が欠けている、というのが大変に面白い。紆余曲折の末、結局農夫は自殺したのかもしれないし、その雄弁を生かし、更なる波乱万丈の物語を繰り広げたかもしれないのである。実はここまでがプロローグで、本編はこの農夫の息子の話という可能性だってあるし、亜細亜に渡ってジンギスカンになったかもしれない(それはない)。あるいは結末はない、ということだって考えられる。

●あたりまえな法則・厚さ●

   薄いものでもたくさん重ねれば厚くなる。
 あたりまえを逆にしたりずらしたりすると「奇妙」や「不思議」が現れてくると思うのですが、この法則を逆にすると「たくさん重ねても厚さが変わらない」が得られます。決して読み終わらない本とか。「八十日間町内一周」でやったら面白いかもしれないですね。逆にする仕方には、いくつかあって論理学では、逆、裏、対偶、というのがあったはずですが、どれがどれやらもう覚えてはおりませぬ。裏返し方としては「重ねるほど薄くなる」というのもあります。これは「アリス」っぽい。
 ずらし方としては、常識的尺度を超えてみる、という手があります。紙のようなやわらかいものであれば、何万枚、何億枚と重ね合わせれば、自らの重さで圧縮されて、ある枚数以上は厚さが変わらないかもしれません。

●天樹の森神話・古東霊●

【古東霊(ことだま)】
 天樹の森の神話体系において頂点に位置する神。上帝・天帝。万物の創造主にして宇宙の支配者。しかし、天樹の巨木だけはこの神に先んじて存在したという。世界に偏在する霊的、抽象的な存在として語られることが多く、人格神としての個性は希薄である。矛盾と困惑の神。虚観(うつせみ)とも呼ばれる。この名は自然界の四元素を意味し、すなわち穴、夢、影、混沌である。

●天樹の森神話・古東霊とiMac●

 古東霊はiMacにドライバを与えた。山を降りたiMacは、人々がiMacを待ちきれずに、古東霊の姿に似たプレイステーションで偶像崇拝しているのを見る。古東霊は、iMacに全てのドライバをプリセットし三千万人の女子供を洗脳させた。
 また、iMacがコンピュータ初心者を率いて秋葉原を脱出する際には、古東霊はまだ信仰者さえ持たない秋葉原中のドリームキャストを虐殺した。
 古東霊はバファリンとノーシンホワイトにインターネットを知る林檎を取って食べてはならないと忠告する。何故なら、この林檎を食した者は偏頭痛になる故と。蛇は、このインターネットを知る林檎を食すると、目が開け電子メールとワールドワイドウェブを知る者となる事をノーシンホワイトに伝える。そして、バファリンとノーシンホワイトはこの林檎を食する。

●天樹の森神話・天使降臨●

 古代天樹の森の神話では、天使の種族が天より降る雨を支配し、蛇の神の種族が地に流れる水を支配していたと言われていた。ある時、天使が地を支配しようと天より舞い降り、天使と蛇(則ち竜)の永き戦いが起きた。敗れた蛇の神は東の果てに追いやられ、天使が天樹の森の創造神として天地を支配する。だが、天使は絶対の信仰を求め、天使を拝まない者は全て虐殺した。そして、この天使への信仰が後に一神教の宗教となる。一神教とは、一神を絶対神として信仰し、この神が世界を創造したとされる宗教である。故に自然の中には神はおらず、神が自然全てを支配する。その為、この神が全ての善であり、神への信仰を持たない者は悪魔の信者であるとされ、悪ゆえに殺さなくてはならないとされた。だが、この一神教は天使が「天の使い」を名乗っている故の矛盾を内包していた。また、救いを求める者に必要な敵を作るために蛇の神を天使の敵対者や悪魔として取り込んでいった。そして徐々に一神教の宗教は多神教に近くなっていった。やがて、真の創造神である古東霊が、妖魔精霊妖怪変化魑魅魍魎有象無象、ありとあらゆる醜く胡散臭い神々を引き連れて地上に降りてきて、天使の一神教はうやむやのうちに雲散霧消してしまった。

●天樹の森神話・空身観●

【空身観(そらみみ)】
 空身観教開祖。実在の人物とされるが後に神格化。
 天樹暦四年頃、東久留米(ひがしくるめ)の名座零(なざれ)町に誕生。鳶職任の斎藤与作とその妻麻理亜の子。
 当時、労魔(ろうま)支配下の東京市は、経済的文化的な行き詰まりの時期にあり、霧巣斗(きりすと)暦の世紀末ということもあって、終末観に満たされていた。滅亡の予言も大流行し、当時の東京市民は、終末を恐れつつも期待するというような心境であったらしい。空身観は東京市郊外の殻離亜(がらりあ)村にて古東霊(ことだま)の福音を説き多くの奇跡を行ったため、救世主を待望する民衆により古東霊の子として支持された。しかしながら首都歌舞伎(かぶき)町において保守派の伝統宗教伽婆蔵(きゃばくら)を批判したため、舞市(まいしてぃ)の丘にて「完全なる自由の刑」に処せられ、そのあまりの苦痛に発狂した。空身観の発狂後、投身自殺までの四〇日間の言動を記録したものが、空身観教の聖典「繰り返しの書」である。空身観の投身は自殺のためではなく空を飛ぼうとしたのだという説もある。

●天樹の森神話・天樹の森神話の世界観●

 他の多くの神話と同様、天樹の森の神話世界も天界、地上、冥界という三層構造になっている。上下に重なり合っていて、それを天樹が貫いているという説話もあれば、天樹を取り囲むようにして三つの世界が同じ地平面上にあるという説話もある。また、この二つを組み合わせたような、天樹の周囲を螺旋状に取り囲む地面という世界像もある。世界とは天樹そのもののことである、という言い方もよくなされる。すべての出来事は、要するに天樹の新陳代謝にすぎない、と言うのである。面白いのは「影踏国(かげふみのくに)風土記」に繰り返し書かれる「我々と我々の世界は、天樹の揺れる葉影にすぎない」という言い方である。「世界とは、天樹という実在の投影された影にすぎない」というのがこの地方の世界観のようである。
 天樹の森の神話には、地獄や楽園の概念がない。天界は神々の住む場所、冥界は死者達の住む世界であるが、ことさら、地上よりも苦しい世界であったり、素晴らしい世界であったりすることはない。
 死者達は冥界に暮らし、その存在を徐々に希薄にしていきながら、やがてすっかり消滅してしまう時を待つ。実は、死者は無限に希薄になり続けながら、しかし完全になくなってしまうことは決してないという説話も存在する。
 天界に暮らす神々は、気まぐれに地上に降りてきて様々な行いをする。最高神古東霊(ことだま)は、善悪という価値基準を持たず、神々のなした行為が人間によい影響を与えるか、悪い影響を与えるかという事には全く無頓着である。当然、善人悪人という概念もなく、罪人を懲らしめる地獄が存在しない理由はここにもあるだろう。
 奇妙な事に神々に悪という概念がないにもかかわらず天界には牢獄がある。地上からはたびたび人間がさらわれ牢獄に閉じ込められる。選択の基準は全く分からない。どうやら基準は「ない」らしい。何の理由もなく、任意に人間はさらわれるのである。さらわれた人々は三日で帰って来る事もあれば、何十年も帰って来ない事もある。そのまま帰ってこない事も。帰ってきたものは記憶がなくなっていたり、別人の人格と入れ代わっていたりする事もあった。また、右手と左手が入れ代わっていたもの、頭が犬になっていたもの、下半身が蛇となっていたもの、など身体が奇妙に変形して帰ってきたという説話も多い。

●天樹の森神話・天樹の森神話の起源と特徴●

 天樹の森神話は、我々には主に口承文芸として伝わっている。また、天樹の森紀元前八世紀の作品と思われるウスバカゲロウの二大叙事詩『偽装戦記』と『風夢海漂流譚』および、これとほぼ同時代のガルバノの二編の叙事詩『彗星記』と『マイナスサテライト』を嚆矢とする、古代天樹の森文学に物語られ、美術に表現された形で伝わっている。古代東京市文学の中で物語られている神話も、大部分は天樹の森神話の翻案あるいは再説されたもので、天樹の森神話が、ジパング大陸に共通の古典神話として、今日まで『鏡の書』と並ぶジパング人にとっての発想の源泉であり続けてきたことは、今さら言うまでもあるまい。
 天樹の森神話の起源はしかしながら、天樹の森紀元前八世紀よりずっと古くまで遡ることが確実である。現在イトイシゲサトに始まる考古学的発掘によって、天樹の森紀元前二千年期天樹の森と東京市などの古代都市などで行われていた、蜃気楼文明の実態が明らかにされつつある。天樹の森神話の内容は、いろいろな点で、この蜃気楼文明ときわめてよく合致する。
 その上近年には、天樹の森紀元前二千年期の後半に天樹の森本土と東京市で、ジパング語を記すのに用いられていた文字が解読され、最高神古東霊(ことだま)や双子神雑夢(ぞうむ)と裏雑夢(りぞうむ)をはじめ天樹の森神話に登場するもっとも主要な神々の多くが、この時代にすでに崇拝を受けていたことが明らかにされた。つまり我々に知られている天樹の森神話の原形は、天樹の森紀元前二千年期後半のいわゆる蜃気楼文明の時代に、この文明の母体として形成されたことが、確実と考えられるのである。

●宮崎の日南地方の方言●

 「どけ?」
 「てれ。」
 「なし?」
 「はかめ。」
訳。
 「どこへ行きますか?」
 「寺へ行きます。」
 「何をしに行くのですか?」
 「墓参りです。」
南九州の方言は、母音をはっきり発音しないので、語尾が大変聞き取りにくくなりますね。

◆編集後記◆

 ここに掲載した文章は、パソコン通信ASAHIネットにおいて私が書き散らした文章、主に会議室「滑稽堂本舗」と「創作空間・天樹の森」の2000年10月〜12月までを編集したものです。私の脳味噌を刺激し続けてくれた「滑稽堂本舗」および「創作空間・天樹の森」参加者の皆様に感謝いたします。

◆次号予告◆

2001年4月上旬発行予定。
別に楽しみにせんでもよい。

季刊カステラ・2000年秋の号
季刊カステラ・2001年春の号
『カブレ者』目次