Travel VOL.13
SPACE99 

        NARUTO 鳴 門
  
’in NARUTO  【NO1
10月22日鳴門は曇っていた 東京羽田から1時間余で徳島空港にいた
F氏は握手で迎えてくれ「岐阜からのKさんを迎えに行きましょう」
車は鳴門撫養バス停に向かう 新神戸からバスで明石海峡大橋〜大鳴門橋
〜小鳴門橋の下このバス停まで2時間余で陸路来られるようになった ここでまた旧知を……

ここ鳴門公園展望台からの眺めは素晴らしい 目の前に大鳴門橋が雄大な姿を横たえ
大鳴門橋その真下を浪々と早い潮が渦巻いている 
自然の流れの上に人工の美が覆い被さるようにだ
淡路島と対峙するように大毛島があり 四国本島との境の
海面はまるで川の急流のような流れになっている
この急な流れと対照的に 油面のように静かな海面に海釣り用の
筏がいくつも並んでいる 逆光に照らされて高台から見る風景は
コントラストの妙と言おうか素晴らしかった




「阿波十郎兵衛屋敷」*注 下記参照に来た 往時の五分一程度の広さと説明されたここ
ケヤキの1枚板で出来た門戸が保存されていた浄瑠璃に馴染みのない私は十郎兵衛をほとんど知らない
説明パネル 古色蒼然とした人形 彼の遺品を見て回る 当時塩と藍が二大産業で米が極端に不足し
それの手当と幕政との軋轢に依る悲劇の主人公と知った

車は通行量の少ない市内をスイスイ走る 「シャワーでも浴びて ゆっくりしてから……」と
ホテルに我々を置いてF氏は帰った
6階建の小ぢんまりしたビジネスホテルは五千円弱の安さだった
シャワーを終えて窓外を見ていたら 電話のベルが鳴った 「フロントにいますよ」F氏だ
後で迎えに来るから 今夜は飲みましょうと言っていたがこんなに早く来るとは 
鳴門の人情を一身に纏ったようなF氏……
酒と魚に攻められて この夜は倒れるように眠りについた

朝8時半に電話が鳴って 元気なF氏が車で待っていた
F氏……薄くなった髪を丁寧に揃え 真っ黒に日焼けした顔に柔和な眼差し 細身の彼の何処にこのパワーが
毎朝のように車で10分程の海岸で 1〜2時間の間にアジ等を何十匹と釣るらしい

「四国に来たのだから」と四国霊場一番札所に向かう
門を入ると大きな池に巨大な錦鯉が群をなしていた かって或る国のお偉いさんを案内したとき
開口一番「おいしそう」と言ったとF氏は笑った 境内には白装束を纏った人たちが行き交い
般若心経の響きが流れている なにやら荘厳な雰囲気を味わった
心温まる“お接待” お茶とサツマイモを戴いた あの有名な「鳴門金時」でしょうか 
車で順に札所巡り「時間が……」と切りの良い七番札所で打ち切った 途中「ここが美味しい」と言う店で
“釜あげうどん”を食べた空席待ちの混雑だったが白い太身のうどんに“こんなにも”の微妙な食感だった
土柱
かなりの距離を走って「土柱」に着いた 急な山道を一気に登る
林の彼方に地肌を露わにした山の頂が見えた 
軟弱な地盤が崩落して出来たそこだけが異質な景観を呈していた

今日は3時からチョットした会議があって我々も出ることになっていた
F氏運転の車は坂またカーブの道を猛スピードで疾走する

今夜は徳島のホテル 鯛の活き…
鯛の活け作りやらの溢れんばかりの魚料理やお酒の酔いに浸る余裕もなく浴衣にゲタの姿で
「阿波おどり会館」へカラカラと下駄を鳴らして急ぐ
会館内はもうたくさんの客で埋まっていた 一番前の一角が空いていたのでそこに座る
やがてお囃子が鳴り始めた あの軽快なリズムにごく自然に下駄でリズムをとっていた
軽くひと踊りした後阿波踊り指南が始まった 
“男おどり”“女おどり”の説明と実技指導がなされた このおどりの美しさと楽しさの陰に
パワー(特に下半身の)と難しさがあることを改めて知る
観客の大勢が一緒になっておどり その内何人かに(良く出来た)
認定書が渡される興があった

小学低学年位の男の子4人が出てきて可憐な顔で立派な男おどりを披露する 続いて女の子が女おどりを始めた
可憐なおどり見ていた私を含めた皆が「涙が……」と目頭を押さえる 
明るいリズムと軽快なテンポの踊りなのに見る者に涙させる
不思議な感動!だ(子らの真剣なおどりに依るところ大だが)
私にとって身近でなかった(と言うよりさほど興味がなかった)阿波おどり 
だのに酔いも何処への思いにさせられた
50分のショーは終わった
8月に市内で繰り広げられる本番の阿波踊りはどんな……と下駄を鳴らしながらホテルに戻る


明日は鳴門海峡と大塚国際美術館だ


                                           つづく
  
    
                                                       h.
                                
阿波十郎兵衛
    
「いたいけな巡礼お鶴に紅涙をしぼる」浄瑠璃作家近松半二の傑作「傾城阿波の鳴門」の
    主人公板東十郎兵衛  約300年前 亨保年間の物語
    十郎兵衛は 阿波の国宮島浦の庄屋に生まれ 父隠居後十郎兵衛を襲名 宮島浦と鶴島の庄屋として
    苗字帯刀を許され豪遇にして任侠に富み 藩主より望まれて「他国米積入れ川口裁判改め役」の重責を
    命じられた 当時阿波の国は藍作と製塩の二大産業を奨励したために米が不足し他国より輸入を
    余儀なくされた 江戸幕府は当時兵器・食糧の集積を禁じていたので密輸入となり 十郎兵衛は輸入米の
    検査をする役目だったので 輸入米の不正が判明し これが公となって藩と幕府の板挟みになり 
    藩も罪状を明らかにすることが出来ず 罪を一身に背負って元禄11年11月21日刑場の露と消えた
    (長男以下男子3人処刑 妻お弓 娘おつるは後に病死)
    これが十郎兵衛の姿で 幕府の隠密政策の犠牲となり 
    外様大名の阿波藩須賀家25万7千石の礎となった 
                                       
                               ★★史蹟 阿波十郎兵衛屋敷の資料より★★ 
       

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