ボルガ遡航記 (1995)


 

(24) イサク寺院

 

 朝は半袖でも寒くないくらいの気温だと書きましたが、通りを歩いている人で半袖

の人なんかいません。実際、長時間外にいるとちょっと寒いのですね。ところが船で

羽織っていたトレーナーはちょっと汚れてしまってスーツケースの中だし、もう1枚

の長袖はさきほどみんなを見送ったときに飯田さんに貸してしまって今ごろはプーシ

キンです。しかたがないので、そのまま行動しましたが、もうこの半袖だけで外国人

だとわかってしまいます。

 ほんとうは安全のことを考えてもすぐに外国人とわかる格好はしたくないのですが、

ウェストポーチ(これは使ったことがない)がわりにポケットのたくさんあるアウト

ドア用のベストをつけたりしてますから、ま、どうしようもない。それに仮にそれが

なかったとしても、あの何となく垢抜けしないロシア人の服装の雰囲気を出すのは日

本で買った衣料品では難しいものです。愛用の帽子だけはソ連時代にこちらの店で買

ったものなんですが、いまどきあちらで旧ソ連型の帽子なんかかぶる人は胸に勲章を

つけてるお爺さんぐらいのものですから、かえって逆効果です。

 ただ、持ち物のほうは、カメラをむきだしのまま持ち歩いたりせずに、ロシア製の

ビニール袋に何もかも放り込んで、この袋だけをもって行動しました。移動日以外は

全部このスタイルです。

 

 というわけで、多少寒さを我慢しながら市の中心部にもどります。モスクワ駅まで

は市電で、そこでトロリーバスに乗り換えてイサク寺院に行ってみることにしました。

モスクワ駅前の蜂起広場のバス停に行くとちょうどイサク寺院広場のほうへ行く22番

のトロリーがとまっているので、あわてて飛び乗りました。その時、運転手のおねえ

さんが乗車口脇の行き先札をひっくり返しているところです。けど、乗ったあとでも

う一度そこを見ても22番と書いてありますから何も心配せずに乗っていました。とこ

ろがこのバス、モイカ川の先で左折しないで、そのまま海軍省のほうへ直進し、挙げ

句に右折して冬宮のほうへ行っていまうのです。やむをえず冬宮のバス停で降りまし

たけど、22番の行き先札の裏側(私が乗った時に表向きにされたほう)は22番じゃな

かったんですね。

 あ、それから、この日、バスか市電かで一度検札に会ったのですが、それがどこで

だったかどうしても思い出せない。わりに車内が混んでいたときです。客の一人みた

いにしてた私服の男性が突然警察手帳のようなのを見せて、お客の切符を調べるので

す。でも、見ていた限りでは不正乗車を摘発されている様子はありませんでした。1

年半前にこの街で知人を訪ねた帰りに乗ったバスではほとんど誰も切符をパンチせず

にそのまま降りてしまうという感じで(まさか全員が定期券の客ではないでしょう)

これじゃ交通局は破産しちゃうなんて思ったものでしたが、きっとそんな時期があっ

て検札が厳しくなったのかもしれません。

 

 冬宮の脇のバス停から海軍省のそばを通ってイサク寺院までは、しかたなく、徒歩

で行きました。寺院の外のカッサへ行くと、入場料は上の“展望台”への登り賃も含

めて4,500Rとあり、それを払おうとすると「ツーリストはあっち」という返事です。

この“ツーリスト”はもちろん「外国人の」ということです。外国人用の切符は建物

の中で売っていて、これがなんと53,000R。10倍以上の値段です。

 この二重価格にはまったく腹が立ちます。外国人料金のほうにはきれいなパンフレ

ットでもつけてくれるのなら少しはおさまりますが(かつて、それも1回きりの経験

ですけど、ボリショイ劇場の外国人料金の切符が良質の紙にカラー印刷したのだった

ことがあります。ええ、ただチケットの紙と印刷が違うというだけですが。)、もち

ろんそんな気配はまったくなし。ま、先方にしてみればこうした文化財を維持するの

に税金を使っているけど、お前達は税金は払ってないだろという言い分なんでしょう。

でも、それじゃどうしてCIS諸国はロシア扱いなんですか。CIS各国の人達はい

ずれロシアへ税金を払うようになるとでも言うんですか。

 

 イサク寺院は初めてではありませんが、上に登るのは今回が初めて。サンクト・ペ

テルブルクの中心部は建物の高さ制限があるので、ここから殆ど全市が一望のもとに

見渡せます。建物の屋根は赤系統の色に塗られていて、町全体が赤く見えます。いつ

か読んだトビリシの観光案内に、裏手の丘(ムタツミンダ山)から見るとやはり家々

の屋根が赤いために町全体が赤く見えるとありましたが、それはトビリシに限ったこ

とではなかったんですね。ただ、あの時代、レニングラード全体が見渡せるような高

いところには一般の人は来れなかっただけなのですよ。

 その赤い町の中に突き出て見えるのは工場の煙突のほかには教会の塔ぐらいです。

ペトロパブロフスク要塞の教会、カザン寺院、復活教会(血の上の教会)、やや遠く

にはスモリヌィの鐘楼がはっきりと見えます。

 

 イサク寺院の内部は気のせいか以前より暗くなって見にくくなったように思いまし

た。でも、「宗教に対する科学の勝利」の意味だとかいう中央のフーコーの振り子が

なくなったのはいいことです。振り子の下に置かれていた円形の板はそのまま残って

いましたけれど。

 この寺院の内部の豪華さを見て、それぞれの領地で立派な教会を建てて領民を畏怖

させていた貴族達を今度は畏怖させるためにはやはりこれほどのものが必要だったの

だろうなどと考えたものです。しかし、この大聖堂、どんなときに何に使ったのでし

ょう。戴冠式などが行われたというのも聞いたことがありませんし。

 壁や天井に描かれた絵もすばらしいと思ったのですが、北、西、南の3方向にある

大きな扉の表裏とその周辺にあるレリーフも見事なもので、その1区画ずつが独立し

た芸術作品として立派に通用するはずです。

 

 寺院からホテルまではネフスキー通りを端から端まで行くトロリーバスで帰りまし

た。気がついたらお昼を食べてないのです。バス停で降りてホテルへ着くまでの一角

にキオスクというか屋台というかそんな店の並んだ一角があり、そこでホットドッグ

を買って昼食(と言っても17時を過ぎてましたけど)にしました。ソーセージが2本

入った“ダブル”で6,000R。

 よけいなことですけど、ホットドッグはロシア語でも「ホットドッグ」。「ガリャ

ーチャヤ・サバーチカ」ではありません。なぜって、こんな怪しげな店でそんな言い

方をしたら誰もがほんとうに犬の肉を使ってるって信じてしまうでしょう。(??)

 

 

 

 

(25) バレエ「眠りの森の美女」

 

 プリカーミエの人達をはじめ船で知り合ったみんなになかなか別れ難い我々のグル

ープの仲間は、この日の夜まだ河港に停泊中の船を訪ねることにしていたようです。

でも、こちらはバレエの切符を買ってしまいましたし、それも2枚あります。プーシ

キンにみんなが出かける前に森田さんをバレエに誘ったところ来てくれるということ

で、18時にホテルのロビーで待ち合わせました。

 

 トロリーバスを使って劇場まで行ってみるとそのあたり人の気配がありません。そ

れどころかまだ開いてない。19時開演と思ったのは間違いで19時半開演だったのです。

で、近くのゴスチヌィ・ドヴォールまで足を伸ばしてみました。このペテルブルクの

「三越」、いったい何年がかりで工事をしているのか、大通りに面した側は今もって

工事中です。でも、側面のほうの中はちゃんと営業していて、それも以前とは様変わ

り、西側の商店や商品がはいってすっかりおしゃれになっています。2階には大きな

スーパーマーケットが出来ていて、そこの入り口には警察官の制服を着た男の人が番

をしている。スーパーの前には日本にあるのに見劣りしないファースト・フード店が

あり、そこでホットドッグとレモネードを注文しました。10,000R。さっき、通りのス

タンドで買った2,400Rのアイスクリームとこれで夕食はおしまい。船にいたときと比

べるとずいぶん貧しい食生活になりました。

 しかし、お金のほうは、船を降りたとたん、たいへんな勢いで出て行きます。手持

ちのルーブルではモスクワまでもたないと思って、ホテルを出る前に両替をしました。

このときは10,000円出したのに435,000Rしかきません。ヘンだなと思ったのですが私

達は8月になって急に為替が円安に振れていることを知らなかったのです。この両替

所というのがまた凄い。ロビーの中に不透明な壁で仕切られた電話ボックスほどの場

所があり、その中に係員がいるのですが、窓口もアクリルみたいな板で完全に仕切ら

れていて書類や現金はそこに取り付けられた小さな引き出しのようなのにいちいち入

れてやり取りするのです。防犯のためなんでしょうけど、パチンコの景品交換所に並

んでいる気分です(ホントは行ったことないですけれど)。

 

 19時を過ぎてから、またプーシキン・ドラマ劇場へ行ってみると、劇場の前にはイ

ンツーリストのバスが何台か並んでいます。そこそこインツーリストにも売れるぐら

いのバレエということでしょうか、それとも今はここしかバレエはやってないからと

いうかもしれませんね。

 席はピェルヴィ・ヤルスという3階のボックス席。 ピェルヴィ(first)がなぜ3階

なのかとお思いでしょうが、ロシアの劇場の席というのはわかりにくいですね。以前

なんかもっとひどくて同じ平土間の何列何番でも右側と左側があったりして、私が座

っているところへ切符を持ってきてここは自分の席だと主張した客を「あっち」と言

って追い返したことがあったくらいです。

 ボックス席ならいいと思われるかもしれませんが、それがかなり左袖に近くて、し

かもボックスの中の2列目なのです。こういうボックスは1列目と2列目では天国と

地獄ほどの差があります。ここの2列目は座っていると舞台の右半分ぐらいしか見え

ない。左隣のボックスの若い女性は椅子に座っていたんでは見えないからビロード張

りのボックスの仕切りの上に腰を掛けている。それでこちらの森田さんも同じように

したら、今度は逆側の客から見えないと言われて、やむなく1幕目は立って見てまし

た。

 1列目のチケットはインツーリストに売り払ったんですね。我々の前の席には農協

の団体風の韓国の人がすわりました。ところがあまりバレエには興味がないとみえて

幕があがっても喋っていて隣のボックスからしかられ、そのあとは黙ったんですがそ

のうちウトウトしはじめています。インーリストの客って劇場側にとってはチケット

が高値で売れるからいいでしょうが、現地のバレエ好きの人にとっては我慢ならない

んじゃないかと思います。好きで劇場に来ているとは限らないのに、いい席をとって

しまうし、しかもマナーが悪い。ひどいのは公演中に平気でカメラのシャッターを押

し、ストロボまでたくのです。これ、意外と日本人じゃないのです。案外西ヨーロッ

パからの観光客にいます。

 

 演目はチャイコフスキーの「眠りの森の美女」。これを2幕にまとめたものです。

ヴォトキンスクで彼の生家のあとを訪ね、今日彼のお墓を見て、このバレエを見るな

んてチャイコフスキーづくしの旅ですが、この時はまだ彼が生涯の最後を過ごしたク

リン市の家を訪ねるとは思っていませんでした。

 ところが席が悪くてイライラしていたせいではないでしょうが、幕があいてみると

舞台装置も踊り手の衣装もどれもこれも気に入らないのです。音楽も金管や打楽器が

むやみに響いてきますし、楽しみにしていた「花のワルツ」の群舞も期待はずれ。拍

手にも力がはいりません。

 幕間が終わって暗くなっても1列目の韓国の人達はもう戻ってきませんでした。退

屈してしまってネフスキー通りの散歩にでも行ってしまったのかもしれません。おか

げで2幕目は我々が1列目に座ることができました。ここだと舞台もオーケストラボ

ックスも全部見えます。しかもすぐ近くに。休符続きのチューバのおじさんなんか楽

器の上に置いた腕に顎をのっけてすっかり休憩の態です。

 ところが、この2幕目、1幕目と全然感じが違うのです(「席のせいじゃないです

よね」とあとで何度も森田さんに言ってしまいました)。パ・ド・ドゥなど踊りくら

べが中心の幕ですが、プリマはむろんのこと、ワキもなかなかの踊りで、客席からは

大きな拍手に加えて「ブラボー」の声がいく度もとびます。1幕目の不満感はすっか

り帳消しだし、これなら翌日の「くるみ割り」も誘っていいかなと思って森田さんに

聞くと、ちょっと躊躇してから「いいですよ」という返事でした。

 劇場を出たのは22時半くらいだったと思います。

 

 

 

 

(26) エルミタージュ

 

 13日(日)、同室の金田先生の目覚まし時計の音で起きました。とりたてて寒くも暑

くもない朝です。

 8時、ホテルのレストランで朝食。 ホテルの宿泊に朝食だけはついていますので、

1日のうちでこれだけがまともな食事です。レモネード、菓子パン、黒パン、チーズ、

オムレツ、ブルーベリーか何かのジャム、バター、紅茶。

 あ、食事のことで思い出しましたが、昨晩また船に行ったみんなはプリカーミエの

人達やアーラさん達と会っていろいろ尽きない話をしてきたのですが、その中で意外

なことを聞いたと金田さんが話してくださいました。それは船の食事(だけではない

らしいのですが)が乗船していた彼らロシア人にはあまり評判がよくなかったという

のです。他の船ならもっと美味しいと言っていたと。私はエニセイ川のときの「A・

チェーホフ」に比べて少し落ちるのは船のグレードが違うからしかたがないと思って

いました。なにしろあちらはデザート専任のシェフが乗っていたくらいですから。で、

毎回の食事にそれほど不満は感じてなかったのです。ところが彼らのいうのにはそう

いうのとの比較でなく、もっと大衆的なたとえばボルガ・フロート社の船なんかのほ

うがということらしい。来夏のプランをあれこれと考えていた金田先生、これにはだ

いぶこころを動かされたようでした。

 

 ネフスキー通りの中心では、市内観光のバスが乗客を募集しています。#800でなお

ざねさんが書いてらっしゃるあれです。今日は、昨日のようにインツーリストに手配

を依頼せずにこのバスを利用して郊外のピョートル宮殿まで行こうという計画です

(当初は水中翼船でというプランでしたが)。私は、エルミタージュ美術館に終日い

ようと思っていて、中心部のゴスチヌィ・ドヴォール駅までみんなと一緒に行きまし

た。

 みんながバスに乗ったところで別れて、徒歩で美術館まで。途中グリゴエドヴォ運

河に沿って復活教会のほうへ歩いて写真を撮ったりしながらです。昔、このあたりに

いろいろな種類のピロシキをならべたカフェがあったと思ってその辺りをさがしもし

ましたが、何やら西側風のしゃれた飲食店ばかりが多くなり、見つけることができま

せんでした。あと、道ばたで果物売りの露店に出会って、何を考えていたのか1キロ

あたり4,000Rのバナナを1キロ半ほど買ってしまいました。美術館への行きがけにバ

ナナを買う人なんていませんよね。例のロシア製のビニール袋を持ち歩いていますか

ら、持ち運びには問題ないですが。

 

 美術館には開館直後にはいりました。昔は、ことにインツーリスト口でない一般の

ほうは長蛇の列でしたが、今はそんなこともなくスムーズに入れます。

 美術館でクロークにバナナやカメラの入ったビニール袋を預けたあと、カッサで入

場券を買おうとしていると「石川さん」と後ろから肩をたたく人がいる。バスで郊外

へ出たはずの中田さんでした。彼女と大田君、ピョートル宮殿へ行くのをやめてバス

代30,000Rは返してもらわないままこちらに来てしまったそうです。明日が月曜日で

すから、ここは今日来ないと今回は見ることができないからです。

 もちろんここも二重価格で、外国人は40,000Rでした。

 

 この大きな美術館は内部が入り組んでいて、何度来ても今自分がどこにいるのかわ

かりかねます。おかげで来る度に「新発見」がある。今回も、黄金の間の近くに、周

囲三方の壁を造り付けの立派な書棚、それも中2階にも書棚がぎっしりとならんだ書

斎をみつけてしまい、これは中田さんも私もいたく気に入って、あとで金田先生に話

したら、やはり有名な部屋なんだそうです。エルミタージュには過去何度も来ている

のに一度も案内してもらったことがありませんでした。

 それにしても中田さんは勘(地理勘?)がいい。美術館全体の位置関係をすばやく

のみ込んで要領よく歩き回っています。大田君のほうはといえば、入場していくらも

しないうちにもう疲れてしまったらしい。どこかの部屋の椅子に腰掛けて休んでいる

ところに出会いました。いや、彼だけでなく、私自身もまだ2階さえ回りきらないと

いうのにすっかり足が痛くなってきています。

 

 話が前後しますが、コントロールを抜けて「大使の階段」を登ったところにある大

きなホールでは、大戦でのドイツからの押収品でしょうか、18世紀のフランス絵画の

展示をしていました。おそらく初めて見る絵ばかりなのでしょうが、いい絵が多い。

 エルミタージュご自慢のダ・ビンチの聖母像(今回は海外「出張」してなくて2枚

ともありました)やルーベンス、ファン・ダイク、レンブラントなどを含むを2階を

見終わったあと、1階へ回ってみます。古代エジプトの石碑や棺、それにミイラまで

あります。(大英博物館やルーブル美術館などと違って)「力づくで持ってきたもの

は一つもない」というのを以前ここのガイドから聞いたことがありますが(ドイツか

らもってきたさきほどのフランス絵画は?)、こうしたエジプトのものなどどうやっ

て入手したんですかね。ギリシャ,ローマ期の大理石の彫刻も多くありましたけど、

こちらはあまりこれはと思うのに出会えませんでした。それよりも2階のどこかの部

屋にあったブロンズの彫像で、ワインの瓶の入った篭をそばに置いている子どものが

とても気に入って、これはあとで何回か見に行ってしまいました。誰の何という作品

かわかりません。好きなのに出会ったら彫刻家の名前や作品名なんかをメモしてくる

べきですね。

 

 時間を覚えていませんが、お昼をかなり回ってから1階のビュッフェに昼食に行き

ました。これがもうすっかり日本のハンバーガー・ショップのような雰囲気になって

います。食べたのがハンバーガー5,000Rとコカ・コーラ2,100R。ハンバーガーを注文

するのに「ガンバルゲル」とは発音できないですね。この“ガンバルゲル”、料理に

よく添えられている香菜がはさんであるのがロシア的でした。

 それにしても、冬宮のなかでこうですから、この町のどこへ行っても、ホット・ド

ッグ、ハンバーガー、コーラです。アイスクリームだってうっかりすると西側のブラ

ンドだったりして。通りの露店で白衣のおばさんがピロシキを売っているのにも会わ

なかったし、クワス売りのタンク車も一度も見かけませんでした。クワスはイルクー

ツクで市場からの帰りに1杯飲んだだけです。コーラにすっかり駆逐されてしまった

のでしょうか。

 

 3階の東方文化のコーナーでは、中国の水墨の山水画などの部屋の奥に東トルキス

タンの仏教遺跡からの出土品が多く展示されていました。仏画などには日本のとよく

似た表情のものがあります。

 あとはご存じ同じ階のフランスの近代絵画。マチス、ピカソ、ゴッホ、ルノアール、

ゴーギャン、モネ、... マイヨールやロダンの小さな彫像もいいですね。

 

 ピョートル宮殿に行っていた人達も15時前には町に戻ってきたそうで、桜田君と森

田さんは美術館に来ていました。森田さんには運良く中田さんが館内で会って案内役

をつとめたらしい。ところが、17時閉館といっても日本の銀行みたいにその時刻以降

には入れないという意味だと思っていると大違いで、その時間には全員が外に出てい

るということですから、出口から遠くにある部屋は16時15分ぐらいにはもう係のおば

あさんがハンドベルをならして客を追い出し、さっさとロックしてしまいます。我々

は夕暮れ時に羊飼いに追われる羊のように出口側へ出口側へと追い込まれていきます。

そのため、中田さんが案内したかった例の書斎には行けなかったとか。

 バナナを預けておいたクロークのところで5人で落ち合ってホテルへ戻りました。

 

 ホテルでは3階のビュッフェで食事をと思って大田君と一緒に行ってみたのですが、

夕方の2時間ほどは閉店で、やむなく例のバナナを2本ほど食べておなかをふさぎま

した。上陸してからはほんとに貧しい食生活をしています。(^_^)

 

 ホテルのサービス・ビューローで飯田さんがバレエのチケットを手に入れていて、

この日は飯田さん、中田さん、桜田君、森田さん、私の5人で昨日のプーシキン・ド

ラマ劇場へ行きました。

 3人はインツーリスト扱いのチケットですから平土間の6列目とかという上席です

が、こちらは昨日よりさらに上の5階席。いえ、それより上はなかったですからほん

との天井桟敷で、「成駒屋!」とか「山崎屋!」とかかけ声を掛けたくなる場所です。

よく「ブラボー!」なんて大声出しているのもこのあたりにいる手合いでしょうか。

でもさすがにここまで上がるとボックスの中に2列目はなく、1ボックスに2席だけ

です。昨日のように舞台の袖近くでなく舞台正面の奥まった位置でしたが、劇場その

ものが大きくないので、オペラグラスが必要というほどでもない。切符を買うときに

売り手が「いい席だよ」と言った意味がわかりました。

 2幕物の「くるみ割り人形」で、プログラムを見ると昨日のオーロラ姫が今日はク

ララ役を踊っているのですけれど、続けて二役は重いのでしょうか、踊りは昨日の2

幕目のほうが良かったように思いました。実際、最後のカーテンコールで、主役の2

人が袖に下がるとお客の拍手はすーっと消えてしまい、スポットライトはまだステー

ジ中央に明るい円形を描いたままなのに2人はもう一度出てくるきっかけがつかめな

いでそのまま終わりになってしまいました。以前にも経験がありますが、こういう時

のロシア人の観客の反応はドライなものです。

 跳ねたのは昨日より早く、22時前でした。おもてはまだ昼間のように明るい。

 

 ホテルに帰りついたあと、中田さんと桜田君との3人で、さきほど閉まっていた3

階のビュッフェに行って軽い夜食をとりながらしばらくとりとめのない話をして過ご

しました。ホテルのビュッフェというと、以前は片隅のなんとなく薄暗いところで黒

パンにチーズかソーセージをのせたのとレモネードという雰囲気でしたが、これも昼

のエルミタージュのビュッフェみたいのに変わっています。オープンサンドと紅茶で

7,100R。でもこの紅茶が煮だしたのをサモワールのお湯でわってくれるというのでな

くて、リプトンのティーバッグを入れたまま寄越すという味気なさ。あヽ「明治は遠

くなりにけり」に似た気分です。

 

 

 

 

(27) なおざねさんに会った日

 

 8月14日(月)、起きたのは6時過ぎ。この時間は曇っていて、半袖ではちょっと寒い

かなという程度の気温です。

 

 8時45分、朝食。 レモネード、菓子パン、黒パン、チーズ、目玉焼き、ジャム、バ

ター、紅茶。

 

 昼までにホテルはチェックアウトしなければならいのですが、列車に乗るのは深夜

ですから、この日は例のビニール袋1つで市内を歩くというわけにいきません。スー

ツケースのほうはみんなの分をまとめてホテルの一時預けに預けるということで、9時

半にそれを降ろすべくエレベーターに乗りましたら、その中で若い男のかたから突然

「石川さんですね」と声を掛けられました。私はなかなか人の顔を覚えられないもの

ですから(仕事上これがちょっと困るのです。子ども達の名前を覚えられないという

わけなので。)「どなたでしたっけ?」などとたいへん失礼なことを言ってしまいま

した。「なおざねです」というご返事。エレベーターに一緒にいた金田さん、「かわ

った姓の人だな」と思ったでしょうか、それほどでもなかったでしょうか。ま、「

“あざらし”です」などと言われるよりは衝撃度が小さかったと思いますけど(^_^)。

昨晩こちらに着かれたということでしたが、こうやって偶然お会いするとは思っても

みませんでしたから、びっくりしました。

 

 言語学者の金田さんは旅の間、ことに船を降りてからたくさんの本を買っていて、

それをホテルの郵便局から送ろうとしたのですが、これが受け付けてもらえず中央郵

便局に行くことになりました。私は本を別送するというのはしたことがないのでよく

知りませんけれど、なかなか難しいらしい。古書が送りにくいというのは前に聞いた

ことがありますが、新しいものでも地図や辞書はダメだとか。なぜそんなものがダメ

なのかと聞いたら、よくわからないけど編集にたいへんな費用がかかっているのに政

策的に低価格に抑えてあるからじゃないかと金田先生は言っていました。このあとの

モスクワでは、買った辞書にまったく違う本のカバーをかぶせたのを私に見せて「名

案だろ」と言ってらしたのですが、これも郵便局で見破られて成功しなかったとか。

同じ手を考える人がいるんですね。(^_^)

 この日は、午前中にイサク寺院へ行き、そのあとペトロパブロフスク要塞へ行こう

というプランでした。中央郵便局はイサク寺院からそう遠くないところですが、なに

しろ本の量が半端でないので、手で運ぶわけにいかない。それで、先生はタクシーで

郵便局に行き、みんなは私のほうで寺院まで案内することにしました。おととい行っ

たばかりですから、そのくらいは..。

 

 地下鉄の駅から寺院広場まで歩くのも面倒なので、ホテル脇のバス停からトロリー

バスに乗りましたが、ネフスキー通りは思ったよりも車が混んでいて時間がかかりま

す。でも、この日はバスが冬宮のほうへ行ってしまうこともなく無事イサク寺院の前

まで。

 

 13時にホテル・アストリアの前で会うことにして、みんな(と言っても、金田さん

の他に飯田さんも朝から別行動しています。)と別れました。私は寺院から道ひとつ

隔てたデカブリスト広場の芝生と木立の境目あたりのベンチに腰を降ろして、旅のノ

ートを書いたりしていました。朝感じたように半袖ではすこーし寒く、広場にやって

くる観光客もそれほど多くはありません。

 ペテロパブロフスク要塞のお昼の「ドン」が聞こえてからほどなくして、中田さん

と森田さんが広場にやってきました。寺院の中も展望台もまわってきたそうです。2

人は青銅の騎士像のあたりまで行って写真を撮ったりしたあと、中田さんがお昼を持

っているからと言ってくださってそのベンチで昼ご飯にしました。白い塊になったパ

ンをちぎってそれにペースト状のチーズを塗って食べるのが美味しい。ミックスベジ

タブルを漬けたような野菜が“おかず”。あとビスケットもいただきました。

 このパン屑をねらってか雀の群れが集まってきて、しばらくのあいだ我々3人はこ

の雀達にパン屑やビスケットのかけらをやったりして時間を過ごしました。雀は鳥の

中でも警戒心の強いほうですから、人の足元まで近づくということはないのですが、

それでも餌にありつこうとしてぎりぎりのところまでは来る。あの小さなパン屑でも

遠くから見えるのですね、地面の上に落とされるとたくさんの雀がワッと集まって激

しい争奪戦です。首尾良く餌にありついた雀はその大事な餌を横取りされないように

少し離れたところへ飛んで行ってそこで食べるのですが、面白いのはその飛距離が獲

得した餌の大きさに比例することです。

 

 13時に、約束通りアストリア・ホテルの前に集合。金田さんももちろん来ましたが、

さらに飯田さんがプリカーミエの2人のスヴェータさんとともに現れます。これは金

田さんとの間で「もし間に合えば」合流するという約束で、そのときはネフスキー通

りのサンドイッチハウスへ行ってプリカーミエの人にお昼をご馳走することにしてい

たのです。

 ところがそのサンドイッチ屋さんはお休み。やむなくモイカ川の手前の“文学カフ

ェ”で昼食をとることにしました。と言っても、こちらはさきほど雀達と一緒に昼食

は済ませているんですが。

 “文学カフェ”にはいるのは初めてです。入り口でいきなりテーブルチャージだか

何か5,500R払わされるのには驚きましたが、店内は落ち着いた雰囲気でどこかで誰か

が弾いているのでしょうか、始終バイオリンの音色が流れてきます。ボルシチ30,000

R(他に税金だかが15%)を注文。大きめの壺に入ったボルシチと他に肉と野菜でつく

った具をのせた丸いパンが出てきてどちらも上品な味で満足。あと蜂蜜入りとかいう

紅茶3,000R(+15%)をいただきました。

 

 飯田さんやスヴェータさん達とはここで別れて、残った我々はここから徒歩でペト

ロパブロフスク要塞へ。いつもは団体旅行ですからバスでの移動ばかりですが、こう

やって歩いていくのもいいですね。モイカ川からネヴァへ抜ける小さな水路に沿って

宮殿河岸へ出て、あと川岸の道をトロイツキー橋(かつてのキーロフ橋)のほうへ歩

きます。昔は橋の手前にレーニン中央博物館があったんですが、いまその建物の前庭

には例の装甲車が見あたりません。昔の博物館はいま別の用途に使われているんです

かね。

 この頃には天気はすっかり良くなっていて、キーロフ橋からの眺めがいい。下流の

ほうを向くと、右手に要塞の尖塔、正面にワシーリー島、そのちょっと左には海軍省

の尖塔やイサク寺院の金色の丸屋根が見え、左側の川岸にはもちろんエルミタージュ

という配置です。

 要塞の入場券はセット券になっていて、前に来たときのように監獄に行こうと思っ

たらもう一度チケットを買いに走るとかそういうことがなくていいのですが、値段が

$3とドル表示なのです。それをルーブルで払うわけだし、しかも学生は料金が違うと

いうのでここはちょっと混乱しました。窓口のあのおばあさん、そういう「変動相場

制」のチケットをよくさばきますね。

 要塞では、教会の中の歴代皇帝のお墓、政治囚をとじこめていた監獄、はいるのは

今回が初めてだった博物館などを見学。そのあと、市電と地下鉄を乗り継いでホテル

まで帰ってきました。

 

 ホテルへ戻っても既にチェックアウトしていますから、居場所がないのです。で、

我々の部屋のあった5階まであがってヂェジュールナヤの席の前のソファーに陣取り

ました。ヂェジュールナヤも何も言わないので助かりました。

 といっても若い人達はじっとはしてません。桜田君はもう一度ネフスキー通りまで

行きましたし、森田さん、中田さん、大田君はお向かいの修道院の今度は墓地ではな

く、教会へ出かけました。教会では礼拝をしていて、それがとても素敵だったとあと

で3人から聞きました。美味しいものにもめざとい中田さん達は、ホテルの脇の、そ

う一昨日私が怪しげなホットドッグを買ったあたりの店で「シャヴェルマ」というか

わった食べ物を買ってきました。生地にマヨネーズを敷いて、そこに玉葱とトマトの

みじん切りと炙った鶏肉のやはりみじん切りを乗せて巻いたものです。そういえば前

にモスクワのトヴェリ通りでトルコ系の人がやっているお店で食べたのに似ている味

です。これが美味しくて、私は一度食べて、もう一度買いにいったくらいです。2回

分あわせて8,000R。

 

 21時頃には桜田君も飯田さんも戻ってきて、22時にトランスファーのワゴン車でホ

テルを出てモスクワ駅に。ここのホールで小1時間ほど待ってから、23時33分発No.5

列車「インツーリスト」に乗り込みます。発車するかしないうちに私は寝入ってしま

ったように思います。

 


 

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