青年



 ペレストロイカの時代になって、その風をいちばん早く敏感に感じたのはやはり青年たちだったかもしれない。写真の青年は父親がチェロ奏者、母親がピアニスト、妹もピアノを弾くという音楽一家で、本人も少年時代はトロンボーンを吹いていたが、「社会主義」の緩みはじめたのを見てとって急にロックに転向した。と言ってもスタジオがあるわけでもなく、ある大きなビルディングの基礎の部分に穴を掘って、そこをスタジオがわりにしていた。文字どおりの「アングラ」だが、案内された私のほうはこんなことをして建物が大丈夫なのかそっちが心配だった。地震のない国だからいいのか..。 (1991年8月撮影・イルクーツク)







カップル


 白樺の木立ちの間で語り合う二人というロマンチックな図だが、じつはこの時期のシベリアは蚊が多く、写真から想像するほどロマンチックな雰囲気に浸ってはいられない。「蚊がすごいね」というと「ここのはまだいい。レナ川のあたりのはもっと大きいよ。」なんて返事がかえってきたが、そんなことをいわれても何の慰めにもならない。 (1993年8月撮影・イルクーツク)


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カップル


 ボルガ川で私と同じ船に乗り合わせた二人連れ。新婚旅行だったのかもしれない。女性のほうはとても社交的で、船内ですれ違うときにはいつも素敵な笑顔で会釈していったけれど、男性のほうは「見ず知らずの人にどうしてそんなに愛想をふりまかなければいけないのか」という雰囲気だったのが記憶に残っている。もしかして私の思い過ごし? (1997年8月撮影)



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カップル風


 一見カップルに見えるこの写真はそうではない。右側の男性はティンダの町を案内してくれたガイド氏。なにしろシベリアの奥の小さな町だから、町中どこへ行っても知り合いに会う。私を連れて歩いている時に偶然会った幼なじみの女性に声をかけてしばらくおしゃべりしているところ写真に撮っただけ。 (2001年3月撮影)



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新婚の夫妻


 旧ソ連では、結婚した2人は結婚に立ち会った証人らとともに無名戦士の墓など革命や大祖国戦争ゆかりの場所を訪ねて花束を捧げたりする習慣があった。ソ連崩壊後もこの習慣は残っているようだ。海軍の町セワストーポリでは、新婚の夫妻が提督ナヒーモフ像前で記念写真におさまっていた。  (2003年8月撮影)



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新婚の夫妻


 祝福を受ける新婚の夫妻。新婚のカップルが右に見える銅像に触ると幸せになれるという言い伝えがあるとかで、銅像のうち男性像の肩はすっかりピカピカ! (キエフ・2003年8月撮影)



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新婚の夫妻


 写真はエストニアのタリンで、郊外の何か由緒ありげな公園に降り立った新婚カップル。でも、左右2人の男性のうちどちらが新郎? (1987年8月撮影)



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新婚の夫妻


 レニングラード市内で見かけた新婚の二人と証人役の友人。通りは凍りつくような寒さだったが、2人の心は春のように温かいに違いない。  (1987年12月撮影)



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新婚の夫妻


 アルメニア正教の由緒ある教会の境内で見かけた二人。やはり年の瀬で、足下には二日ほど前に降った雪が残っていた。  (エレヴァン郊外・2004年12月撮影)


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新婚の夫妻



 同じくアルメニア正教の、しかし上の写真とは別の教会で、式の始まるのを待っていた二人と仲間達。  (エレヴァン郊外・2004年12月撮影)


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新婚の夫妻




 結婚式の後、市の中心部にある「永遠の炎」にやってきて、そこに花を捧げる二人。    (イルクーツク・上段:2011年8月,下段:2013年8月撮影)


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新婚の夫妻


 一時期の日本と同じように、近頃のロシアでは、結婚のパフォーマンスも次第に派手になる傾向なのかもしれない。これは、イルクーツクのメイン・ストリートで見た光景。往来に停めた消防車の上に新婚の二人がいた。新郎新婦のどちらかかあるいは両方が消防職員なのだろう。周囲からの「ゴーリカ!」の声に押されて、キスをする。しかし、こんな時に市内で火災が起きたら、いったいどうする気なのだ。   (2011年8月撮影)


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新婚の夫妻




 チェボクサリの戦勝記念公園を歩く花婿花嫁の一行にカメラを向けたら、それに気づいた新郎が手を振ってよこした。自動車の屋根の上のぬいぐるみが可愛い。   (2014年8月撮影)


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結婚を祝う



 新婚の2人が、結婚のお祝いにかけつけた人々とともに記念写真におさまる。  (ペトロザヴォーツク・2009年8月撮影)


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釣り人



 ロシア人の釣り好きと言ったら、海でも湖でも川でも、少しでも魚のいる気配があったらすぐに釣り糸を垂れる。この写真は氷に穴を開けて氷の下にいる魚を釣るという日本でもお馴染みの漁法だが、釣っている場所は湖ではなく日本海。  (ナホトカ郊外・2007年12月撮影)


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民族衣裳を着た娘さん



 町の河港で観光客を迎えに出た民族衣装姿の娘さん。  (ウグリチ・2005年8月撮影)


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民族衣裳を着ての歓迎



 こちらは、チュバシ共和国の首都チェボクサリの河港で、やはり観光客を迎える民族衣装姿の人達。  (2014年8月撮影)


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手芸をする女性



 観光客にこの地域伝統の手芸の技を披露している女性。  (キシ島・2009年8月撮影)


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チェスをする男性



 モスクワ市内イズマイロヴォのお土産市の中で、お客のことはほったらかしでチェスに興ずる男性。  (2013年8月撮影)


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犬を連れた奥さん


 バム鉄道での旅の途中、停車した小さな駅で車窓の外をふと見た時に目にとまった光景。もっとも、チェーホフの同名の作品は温暖なクリミヤが舞台だが、この写真は厳寒のシベリア。  (2001年3月撮影)


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父親



 川岸の散歩道で乳母車を押す父親。2台まとめて押しているのは双子だからかと思ったが、そうなら乳母車が同じ型だろう。もしかすると知り合いの子を預かっているのかも。 (1989年8月撮影・ハバロフスク)


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父と子



 船のデッキチェアーに腰を下ろして雑誌にあったパズル挑戦してみたのだけれど、どうにもわからなくて父親のところに助けを求めてきた娘ナースチャと、その問題の解き方を一生懸命考えてくれている父のイーゴリさん。   (2002年8月撮影・アムール川)

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父と子



 ペルミ市内を散歩していた時に「どこから来た?」と声をかけてきたエフゲーニーさんと息子のダニイル君。お父さんは人形劇場の芸術家で、息子さんは音楽学校(小学校)の二年生、チェロを勉強しているそうだ。最初会った時は私とそれぞれとの写真を撮っただけで二人の写真を撮らなかったが、別れてからだいぶ時間が経って市内の全然別の場所で偶然再会。今度は、こうして写真を撮らせてもらった。   (2018年2月撮影)

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学生たち



 ムルマンスク郊外コラの町で観光客を歓迎する催しに参加したムルマンスク教育大学の学生たち。伝統的な塗り物の食器をカスタネットとして使うところを日本人観光客に教えている。   (1985年12月撮影)

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学生たち



 ペトロザボーツクからキジ島に向かう高速船で一緒に乗り合わせた女学生たち。島に向かう船中で折り鶴の折り方を教えたのも思い出。この写真は、ペトロザボーツクの桟橋で撮らせてもらった。   (1990年8月撮影)

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学生



 2005年、モスクワ〜ペテルブルクの旅で同じ船に乗り合わせた金属工学専攻の女子学生。あなたには妻はいないのかと聞いてきたので「君だってご夫君はいないでしょ」と言い返すと「パカー(今のところはネ)」と言って笑った。   (2005年8月撮影)


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師弟


 ペテルブルク高等音楽院の教室での風景。教授がバリトンの男子学生を指導しているところ。   (2005年4月撮影)

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