セブ(旧コメコン・ビル)


 本のページを開いたようなユニークな形のビルには、かつて“社会主義”諸国の経済関係を調整するために設けられた経済相互援助会議の本部が置かれていた。 (1985年12月撮影)

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ホワイトハウス



 エリツィンによる砲撃ですっかり有名になった建物。ソ連時代にはロシア社会主義連邦の閣僚会議が置かれていた。その後はロシア連邦議会が使用していた。 (1999年12月撮影)

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国家院



 クレムリンのすぐ近くにあり、かつては「労働組合会館」と呼ばれた建物で、ブレジネフなどソ連の最高指導者が亡くなった時、葬儀の前にここに遺体を安置して弔問を受けていたような記憶があるが、もしかして私の記憶違いかもしれない。現在は、ロシア連邦の国会の下院の建物として使われている。 (2018年8月撮影)

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シャンペン工場



 ロシアの人達は何かのお祝いのときにはよくシャンペンを開ける。モスクワでは「ソビエツコエ」などのやや甘目のシャンペンが製造・販売されている。写真はその工場。 (1990年12月撮影)


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石細工の工場


 ロシアの人たちは様々な色のついた美しい石を珍重し、それらに巧みな細工をほどこす。地下鉄駅の飾り文字なども石細工でできていることがある。もちろん教会の内装などにも。写真は、都市の装飾のための石細工の工場。  (1990年12月撮影)


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「クロコヂール」編集部  


 どの新聞も官報みたいのばかりでつまらないと言われたソ連時代にも比較的人気のあった風刺漫画紙「クロコジール」がペレストロイカの時代を迎えて元気になったのは容易に想像できる。写真はその編集会議。 (1990年12月撮影)

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「イズベスチャ」本社


 ソ連時代は政府機関紙であった新聞。  (2016年3月撮影)

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イタル・タス通信社


 ソ連時代、ソ連政府の公式見解は当時「タス通信社」と呼ばれたこの通信社から世界に伝えられた。   (2016年3月撮影)

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電報局


 トヴェリ通りにある電報局。かつては大規模の郵便局も兼ねていて、通信関係の用事ではここへ行けば何とかなる感があったけれど、今では電報を使う人もそうもいないだろうし、一度覗いたら携帯電話の売場があったりした。今はどうなっているのか。正面にある地球の絵柄が昔から印象的。   (2016年3月撮影)

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韓国大使館


 ソ連時代のビザは、現在のロシアのようなシール式ではなくて、大使館や領事部で受け取った査証を旅券のページにホッチキス留めする方式だった。で、旅行の最終段階で出国する時にその査証はイミグレの係官に取り上げられるから、自分の旅券にはホッチキスの針跡しか残らなかった。そういうやり方をなぜしているのかということについて、真偽のほどはわからないが、まことしやかな説明があって、それによると、もし旅券にソ連の査証が残っていたら、その旅券の所持人はその後韓国などソ連と敵対的な関係にある国には入国できなくなるので、それを配慮したものだとか。だから、今こうしてモスクワに韓国大使館があるというのは、まさに隔世の感がある。    (2019年3月撮影)

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モスクワ日本人学校  


 市南西部にある日本大使館付属日本人学校。表札も看板もない。本当は教室も撮りたかったが、門番の男性に冷ややかに「ニェット」と言われて引き下がったので、柵の外からの写真だけ。   (2003年8月撮影)


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蚤の市


 市内イズマイロヴォの「がらくた市」。近頃では、モスクワ土産を買いたいというと、たいていここに案内される。マトリョーシカとか毛皮の帽子とかのお土産はもちろん買えるが、写真を見るとわかる通り、ありとあらゆるガラクタが売り物として置いてある感じだ。   (上・中段:2013年8月,下段:2015年3月撮影)


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地下鉄駅  



 モスクワの地下鉄は、その各駅の装飾の見事なのがご自慢で、以前は市内観光の中に地下鉄見学というのが必ず含まれていた。ガイド氏から5カペイカ玉を1つ貰って改札機を通り、各駅でホームに降りてはモザイクや彫刻を見学して歩くというものである。左の写真はマヤコフスカヤ駅。 (1985年12月撮影)



 2段目の左側2枚は比較的最近延伸された線の新駅。地下鉄駅を美術的に飾るという伝統はそのまま受け継がれている。もっぱら機能性だけで設計するというどこかの国の地下鉄駅とは違う。 (2003年8月撮影)  2段目右の写真は、ベラルスカヤ駅に置かれた彫像。傍らの人の比べると、その巨大さがわかる。 (2014年12月撮影)

(3〜5段目:2016年3月撮影,ただし5段目右のみ2017年8月撮影)

 駅の位置がわりに深く、そたのためにエスカレータの距離が長いのもモスクワの地下鉄の特徴。日本のに比べるとかなり高速だが、それでもエスカレータ上にいる時間が長いので、二人連れのうちの前の一人が後ろを向いて会話する光景は珍しくもなく、まれには若い男女がかなりの時間しっかり抱擁しあっていても降り口に着いてしまって転倒などという事態には至らない。  (最下段:2001年1月撮影)
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鉄道駅  


 当然のことながら国鉄のターミナル駅もモスクワにはいくつもあるが、その中でも駅舎が最も美しいと言われるキエフ駅。ウクライナ方面などへの列車が発着する。   (1999年12月撮影)

 こちらもキエフ駅に劣らず美しいと思えるのだが...。左はベラルーシ駅、右はパヴェレツ駅。前者からはシェレメーチェヴォ空港へ、後者からはドモヂェードヴォ空港への直行便の電車アエロエクスプレスが発着する。なお、上のキエフ駅からはブヌーコヴォ空港へのアエロエクスプレスが出ているそうだ。  (左:2014年12月,右:2017年8月撮影)





河港  



 上段は、モスクワ川にある河港のうち北港。バルト海やボルガ川とを結ぶ航路がある。左の写真は、ライトアップされた港のターミナルビル。   (左:2007年8月,中:2005年8月,右:2009年8月撮影)
 下段は、南港。北港に比べるとずっと小規模なのは、直接ボルガには出ずに、まずは川幅の狭いオカ川に出るからだろう。同じような季節なのに、北港のような賑わいは無く、閑散としていた。   (2018年9月撮影)

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空港  



 モスクワにいくつかある空港のうち国際線が主として発着するシェレメーチェヴォ空港ビル。上段左は1980年のモスクワ・オリンピックに間に合うように建設され、以来、国際線の主ターミナルとして使用された第二ターミナル・ビル。中段左・中は、21世紀になってから、やはり国際線の主ターミナルとして供用開始となったDターミナルの内部。第二の時代には、ヨーロッパに行くトランジット客などからは「とにかく、暗かった」とか言われて評判が悪かった。Dになってからは、他国の空港に見劣りしなくなったと言えるけど、「これじゃ、ロシアじゃないでしょう。」という気がしないでもない。2019年からロシアの主だった空港は著名人の名前が冠されるようになって、ここシェレメーチェヴォ空港は「プーシキン名称」ということになった。それで、空港ビルの中にプーシキン像が立っているというわけ。    (上段左:1997年12月,同右:2020年2月,中段左・中:2011年12月,同右:2016年3月撮影)

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 上のシェレメーチェヴォ空港がモスクワ市の北にあるのに対して、南の郊外にあるドモヂェードヴォ空港。私が初めてモスクワに行ったのは1979年暮れのことだが、その時降り立ったのがこの空港だった。当時は、鄙びた国内線用の空港というイメージだったが、現在ではご覧の通り一新されていて、押しも押されもせぬ国際空港。モスクワ〜東京便も発着する。  (下段左:2017年8月,右:2019年3月撮影)