 | 上の写真を撮ってから20年以上が経過した時の写真が、この段以下。地上の様子は、かつてとあまり違わないけれど、すぐ近くの地下鉄駅と同じ「オホットヌィ・リャット」という名前の地下式の商業施設はもうこの地にすっかり定着して、モスクワっ子に親しまれている感じだ。 (これより下:2019年3月撮影) |
 |  |
そのマネージナヤ広場で開かれていたマースレニッツァの催し。舞台や各種屋台が出ていて賑わっていた。 (2019年3月撮影)
 |  |  |
 | ソ連時代にはジェルジンスキー広場と呼ばれた。左の写真は、ソ連時代KGB本部であった建物。正面の高い位置には、今も「槌と釜」のシンボルが掲げられている。ブレジネフの後短期間ソ連の最高指導者だったアンドロポフはそれまでKGBの長官で、そのことを示す銘板が建物の壁に掛けられていた。下段の写真は、その広場にある、スターリン時代の粛正犠牲者を追悼する碑。 (上段左及び下段:2009年8月,上段中:2018年8月,同右:2015年3月撮影)
前のページへ 次のページへ 目次へ戻る |
モスクワの中心部、クレムリンのすぐ近くに古くからある地区。煉瓦色の壁がなんとなく古さを感じさせる。しかし、同名のバス停は、とっても近代的で、ちょっとビックリしたくらいだ。 (2018年8月撮影)
前のページへ 次のページへ 目次へ戻る
2015年2月27日、政権に批判的なスタンスを取っていた政治家ボリス・ネムツォフが、クレムリンにほど近いモスクワ川大橋上で暗殺された。事件を風化させまいと、それから2年近くが経っても、現場には市民の供える花が絶えない。 (2017年1月撮影)
大祖国戦争の記憶を失わないために建設された新しい広場。市民の憩いの場になっている。資料館には、戦争を描いた大きな絵画やジオラマがあるほか、悲劇を風化させないための資料も展示されていて、ベラルーシのハティニでの惨劇の資料とあわせて、日本軍による南京虐殺についての展示もあった。 (最上段左:2003年8月,その他:2016年3月撮影)
前のページへ 次のページへ 目次へ戻る
対ナポレオン戦争の勝利を記念する凱旋門。クトゥゾフ大通りにある。 (左:2003年8月,中・右:2016年3月撮影)
対ナポレオン戦争のボロジノでの戦いのジオラマを置いた記念館。上の凱旋門からすぐ近くのところにある。 (2016年3月撮影)
シェレメーチェヴォ空港から市内に向かう際、道路がレニングラード街道と合流してまもなくのところで見ることができるバリケード型のモニュメント。1941年のモスクワ防衛戦の最前線が市内からこんなに近いところだったということを示す。ソ連時代、このあたりには何もなかったが、モスクワ市が郊外に膨張して、いまやモニュメントは新築の集合住宅だの大型ショッピングセンターにすっかり囲まれてしまっている。 (2005年12月撮影)
 |  |
古いアメリカ映画に「ゴーリキー・パーク」というのがあるらしいが、アメリカまでその名を知られた「ゴーリキー名称文化と休息の公園」。たっぷりの緑の中に大小2つの観覧車がゆっくりと回り、池には白鳥が遊ぶという素敵な公園だったが、近頃では日本各地の遊園地にあるようなやたらとけたたましいだけの遊具が導入されたりですっかり雰囲気は壊されてしまった。写真は観覧車の上から公園内を撮ったもの。 (1995年8月撮影)
|
 | モスクワの南東、モスクワ川沿いにある広大な公園。古い石造りや木造の建築物を集めてあるが、そうした博物館としてよりも市民の憩いの場として愛されている。 (上段及び中段:1982年12月,下段左:1988年8月,下段中及び右:1995年8月撮影)
前のページへ
次のページへ
目次へ戻る |
日本でもそうだが、いつでも行けると思っている所は意外に長い間ご無沙汰しているもので、都心からそう遠くないコローメンスコエもしばらく行ってなかった。
久しぶりに訪ねていちばん変わっていたのは、下の写真のように園内随所に立派な庭園や花壇が作られ、しっかりと手入れされていたことだ。 (2007年8月撮影)
前のページへ
次のページへ
目次へ戻る
モスクワ川の岸辺に降りて行くことができるようになっていて、川岸は市民の散歩道になっている。 (これより下:2015年3月撮影)
コローメンスコエの広い敷地の中に、各種イベントのための広場がある。そこで開かれていた「シローカヤ・マースレニッツァ」と呼ばれるマースレニッツァ週間最終日のお祭り。マースレニッツァは、ロシア人がキリスト教を受容する前からあった春の到来を祝うお祭りで、長く重苦しい冬を耐えてきたロシアの民が春の到来をどんな気持ちで迎えたかは想像に難くない。ここでは、地面に藁をたっぷりと置いてあって、大人も子どももそれを投げ合ったりしていた。大きな人形は、最後に焼かれて、「冬さん、さようなら」というわけだ。ブリヌィ、シャシリク、茹でトウモロコシなどの屋台も沢山出ていて、日本の縁日と同じだなぁとおもったものだ。 (2016年3月撮影)
前のページへ 次のページへ 目次へ戻る
コローメンスコエからさらに少しだけ郊外方向に行ったところにある広大な公園。エカテリーナII世が敷地を買い取って離宮を建てたか建てようとしたと言われているが、長い間未完のまま放置されていた。21世紀になって整備されて、現在の姿になる。 (2015年3月撮影)
前のページへ 次のページへ 目次へ戻る
十月革命から50周年経った時に記念に造られた公園なのだろう。市の南西部にある広い公園だが、ロシア標準では格別広い訳ではなく、どこにでもありそうな風情の公園。 (2016年3月月撮影)
やはり市の南西部にある公園。モスクワ・オリンピックの選手村の跡に造られた? 子ども達のために、珍しい遊具が沢山あった。 (2016年3月月撮影)
 |  | キタイ・ゴーラドのあたりにある緑豊かな小公園。南端にはキリルとメフォディの像が、北端には、露土戦争のプレヴナ包囲戦で亡くなったロシアの擲弾兵たちのための記念碑がある。 (2018年8月月撮影)
|
市内あちこちの、何でもない街角の風景。 (1・2段目及び3段目左:2015年3月,3段目中・右及び4〜5段目:2016年3月,6段目:2017年1月,7段目:2017年8月,8及び9段目左:2018年8月,9段目中右:2019年3月撮影)
前のページへ 次のページへ 目次へ戻る
クトゥーゾフ大通りを歩いていて、あるビルの前で見かけたライオン像。銀座三越本店正面のに似ている気もするが、三越のは前足を伸ばして「どうぞ誰でも撫でてください」という感じなのに対して、こちらは2頭とも前足を立てていて、いざとなればいつでも戦闘モードに入れる雰囲気。 (2019年3月撮影)
上の「街角の風景」の中にも垣間見えるが、モスクワも教会やお堂の多い町で、市の中心部をちょっと歩いただけでも、ビルの谷間に埋もれるようにして建つ小さな教会やお堂をいくらでも見つけることができる。 (2018年8月撮影)