アムール川にかかるシベリア鉄道の鉄橋。シベリア鉄道での輸送にとってこのアムール越えの部分がネックになっていると言われ、この橋のほかに川底をくぐるトンネルもある。写真では橋のむこう側がハバロフスク市の中心部。 (2002年8月撮影)

極東の大河アムールはハバロフスク近くでウスリー川を飲み込み一層大きくなる。まだ中流だというのに向こう岸まで何千メートルもの幅があり、その川のさらに向こうに沈んで行く太陽を見ていると大陸に来たのだという実感がわく。 (1984年8月撮影)
 | ハバロフスクからイルクーツクに向かう鉄道の沿線は、はじめに想像していたような鬱蒼としたタイガ地帯ではなく、どちらかというと草原状になっているところが多い。写真は、いずれも、走行している列車の車窓から撮ったもの。 (上段:1984年4月,中下段:2013年8月撮影)
|
 |  |
 |  |

アムール河を隔てて中国の黒河と向かい合う国境の町ブラゴベシチェンスクへは、この駅から分岐する。 (2013年8月撮影)

同じように、ホームにただ列車が停まっている写真では、どこの駅でも同じに見えるけど、実際は、ハバロフスクから1000kmほど進んだところにある駅。町はアムー州に属する。ホームをまたぐ跨線橋が設置されていることから、それなりの「主要」駅だとわかる。 (2013年8月撮影)

アムール河畔の町ジャリンダへの分岐点。 (2013年8月撮影)

エロフェイ・パヴロヴィチというのは、もちろん人名で、姓はハバロフ。つまり、ハバロフスク駅前に大きな銅像になっている人物。ハバロフスクは、彼の姓をとって地名としているが、この町は、名と父称とで地名になっている。 (2013年8月撮影)
駅舎の正面に銅像のあるチェルヌィシェフスキーは小説「何をなすべきか」でよく知られる作家で、流刑にされてシベリアで長く生活したことがある。 (2013年8月撮影)
前のページへ 次のページへ 目次へ戻る
 | チタ州の州都チタまであと100kmほどの所にある小駅。 (2013年8月撮影)
|
 |  |
チタ州の州都。ホームから街を覗いてみると、大都会だということがよくわかる。 (2013年8月撮影)
前のページへ 次のページへ 目次へ戻る
 |
ブリヤート自治共和国(当時)の首都。シベリア鉄道沿いの町々の中では冬はこのあたりがいちばん寒いかもしれない。 (上段:1988年12月,下段:2013年8月撮影)
前のページへ 次のページへ 目次へ戻る |
 |
シベリアのパリともよばれるイルクーツク。その旅客駅はパステルカラーのあか抜けしたターミナルビルで昔からよく知られていた。もう一つの特徴は、ロシアの駅舎の看板はプラットホーム側にはその都市名(駅名)が書いてあるが町を向いている側にはただ「駅」と素っ気なく書いてあるのが普通(しかしその町の人にとってはそれでじゅうぶん用が足りる)なのに、ここではしっかり「イルクーツク」と書かれていることだ。この町はロシアの極東や中国、朝鮮、モンゴルなどとモスクワを結ぶ交通の要衝であり、そのことは線路が錯綜している上段右の写真からもうかがい知ることができる。下段は同駅に停車中のモスクワ発ウラジオストク行き急行「ロシア」への乗車前に撮影したもの。 (上段左:2001年3月,同右:1983年8月,下段:1984年3月撮影)
前のページへ 次のページへ 目次へ戻る