スモーリヌィ
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建築家クヴァレーンギの建てたクラシック様式の建物。完成後、貴族女学校として使われていたが2月革命後の1917年8月に廃校となり、その後はペトログラード・ソビエト及び全ロ・ソビエト中央執行委員会が置かれた。10月革命ではここが本部になり、露暦10月26日に開かれた第2回全ロシア・ソビエト大会で「平和に関する布告」「土地に関する布告」が採択された場でもある。ソ連時代はソ連共産党のレニングラードの州・市委員会の事務所として使われていた。 (上段左:1985年8月,同右:1990年8月,中・下段:2011年12月撮影)
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旧レーニン博物館
ソ連時代、マルスの広場の北西側には、レーニン中央博物館レニングラード分館が置かれていた。写真は博物館の展示品の一つ。幼時のレーニンの肖像。 (1987年12月撮影)
旧レーニン博物館
室内でストロボを使わずに撮った写真のために画面の状態が悪いが、当時のレーニン博物館の展示品のいくつか。左から、10月革命直後に公布された「平和に関する布告」、同じく「土地に関する布告」、レーニンの著書「何をなすべきか」。「平和に関する布告」の写真では「1917年10月26日」の日付が読み取れる。 (1987年12月撮影)
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旧レーニン博物館
博物館の建物の正面に据えられていた装甲車。1917年4月、レーニンが亡命先からペトログラード(ペテルブルク)へ戻ってきた日、この装甲車はフィンランド駅前の広場に引き出され、レーニンが演説するための演壇になった。 (1987年12月撮影)
フィンランド駅
1917年4月3日、亡命先からロシアに戻ったレーニンが国民に向けて最初の演説を行ったフィンランド駅。駅舎の正面には今でも装甲車上に立つレーニンの像がある。
(左:1999年12月,中:2011年12月,右:2020年2月撮影)前のページへ 次のページへ 目次へ戻る