平成11年度指定

有形文化財・考古資料
宝満尾遣跡出土品 539点
前 漢 鏡  1面
鉄   斧  1箇
素環頭刀子  1口
ガラス小玉 536箇

福岡市博多区井相田二丁目1番94号 福岡市埋蔵文化財センタ一

 宝満尾遺跡(博多区東平尾三丁目3番1号)は,福岡空港東側の月隈丘陵南斜面(標高25
〜27m)所在した弥生時代の墓地,貯蔵穴,古墳2基を含む複合遺跡です。昭和47年
(1972)に福岡市教育委員会が発掘調査し,現在は席田中学校となっています。弥生時代の墓地は中期後半の甕棺墓6基,この西に形成された後期前半の土壙墓13基,石蓋土壙墓2
基,石棺墓1基とこれらの中心に配置された石組み遺構です。後期前半の墓地のうち4号土壙墓に前漢鏡1面,6号土壙墓に鉄斧1箇,13号土壙墓に素環頭刀子1口,15号土壙墓にガラス小玉536箇がそれぞれ副葬されていました。
 前漢鏡は,異体字銘帯鏡(昭明鏡)です。面径10.6cm。鏡背文様は,内区が円鈕・円鈕座の外に八連弧文帯,斜行櫛歯文帯,銘帯,斜行櫛歯文帯と続き,外区は鋸歯文帯,圏線,複線波状文帯と続き,平縁となります。銘帯には「内而青而以而口而明而光ロロ而日」(ロは欠落,順に召,而,夫の文字が相当する)の15文字がゴシック体で記されています。白銅質の漆黒色を呈し,鋳上がりも良好な鏡です。
 鉄斧は,現存長5.0cm,刃幅3.1cm。身を折り返して袋部を作ったいわゆる袋状鉄斧の類です。頭部は一部破損しています。
 素環頭刀子は,全長19.1cm,刃幅1.4cm,環頭外径2.8cm。環頭が完全な環にならず,刀身と離れているところに特徴があります。舶載品と考えられます。
 ガラス小玉は536箇あり,径が2.45〜5.40mmと不揃いなコバルトブル一小玉(531箇)と径4.05〜4.80mmと大粒なグリーン小玉(5箇)の二種類に分かれます。これを連結すると長さ139.7cmとなり,出土状況から三重の首飾りとなります。

 前漢鏡を副葬する弥生時代の墳墓は,北部九州を中心に20遺跡程度あります。そのうち「而」の字を挟んで銘文をゴシック体で記す異体字銘帯鏡(昭明鏡)は,宝満尾を含め7遺跡(7面)から出土しており,他に破鏡として住居跡から出土した1例があります。宝満尾出土鏡の特徴は,この種の鏡のほとんどが広い平縁をもつのに対し,その部分に鋸歯文帯複線波文帯を設け,平縁自体が狭くなることにあり,中国本土でも出土例が少ないです。一方,伝楽浪郡出土の居摂元年銘鏡(紀元6年)が同様な鏡背文様をもつことから,鏡の製作年代がほぼ前漢末頃であることが知られています。
 素環頭刀子は舶載品と考えられ,その環頭の形態は特異なものです。ガラス小玉は,総数536箇と市内では最も多量の副葬例であり,保存状態も良いことから,その製作技術を明らかにする上でも重要な資料です。
 宝満尾遺跡の弥生時代後期の墓地では,16基のうち4基にそれぞれ一品目の副葬を行っており,特定の墳墓に副葬晶が集中することはありません。しかし,その副葬品には当時の社会で珍重された銅鏡がみられ,被葬者は遺跡の位置とその副葬品からみて奴国の社会を構成した有力集団であったと考えられます。
 以上のように宝満尾遺跡出土品は,紀元1世紀頃の北部九州の社会を知る上で重要な意義をもつことから,保存をはかる必要があります。
(参考文献)
 福岡市教育委員会『宝満尾遺跡』福岡市埋蔵文化財調査報告書第26集,1974年