雄別炭鉱は旧阿寒町に位置する有力炭鉱でした。明治36年より本格的な採炭が始まり、舌辛川沿いに幾つも坑口が開削されました。昭和13年、雄別通洞が完成し、坑口が集約されました。戦後は雄別炭礦鉄道の手により増産が図られ、昭和30年代後半には出炭量が60万tを超え最盛期を迎えました。雄別炭礦鉄道は尺別、上茶路などの釧路地方の炭鉱と赤平市の茂尻炭鉱などを経営していましたが昭和44年に茂尻炭鉱が閉山。さらに第4次石炭政策の中で炭鉱閉山に伴う特別閉山交付金の適用が昭和45年度までとされる中、雄別炭礦鉄道は2月に企業ぐるみ閉山をし雄別炭鉱の歴史は終わりました。一時は雄別炭鉱周辺の人口は2万人に迫る勢いでしたが昭和45年に急減、布伏内以北の地域は無人化しています。
今、雄別炭鉱のあった場所のほとんどは自然に還っていますがコンクリート構造物を中心にその遺構は残っています。心霊スポットとしても有名ですが炭鉱記念碑の裏にある記帳ノートを見ると昔この地で住んだ人々が多く訪れています。そんな人の気持ちを踏みにじるような行為は許されるべきではないでしょう。
丹頂の里には雄別炭鉱と雄別炭礦鉄道に関する小さな資料館があり、保存車両も展示されているので訪れてみるのもいいでしょう。
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