空虚な真谷地炭鉱跡地と真谷地小学校(平成21年)



真谷地炭鉱から真谷地小学校へ



北炭真谷地炭鉱の総合事務所と資材倉庫が解体された後の初訪問。すべての施設は消え去りましたが建物の基礎や坑口密閉は残り、何となく空虚な不思議な空間になっていました。今まで見えていなかった空がとても広く感じられました。



真谷地炭鉱へ向かう途中にある真谷地六区には中層の改良住宅が並びます。外観は外壁の塗装が補修されていてきれいですがよく見ると年代を経た建物でした。そして写真右は真谷地西小学校跡地でただ荒野が広がります。昭和60年閉校で記念碑も敷地内にあります。



第2立坑坑口は総合事務所に隣接してありましたが、今は坑口密閉のみが残ります。第2立坑は真谷地炭鉱の主要部ともいえる坑口で楓坑も含めすべての石炭がここから集約揚炭されていました。そしてその直下にはホッパーがありましたが無残にも擁壁の機能を有する部分以外は解体されてしまいました。正直こんな中途半端な解体をするくらいなら、そのままにしておいた方が良かったのではと思わずにいられませんでした。



第1立坑坑口は主に材料搬入に使われていた立坑です。円形の密閉がされていました。



第3立坑坑口は川の対岸にあり、扇風機が設置されていました。これら3つの立坑は約400mの深さがあり、-200mの地点まで達していました。また対岸に渡る橋梁の橋脚が残っていました。



第3立坑の奥にはシックナーがありましたが土砂に埋もれています。



夕張木炭製造の十連窯は解体されずにそのままの姿で残っていました。



巨大なズリ山は道路北側にあります。土砂崩れを防ぐために排水路の整備がされていました。



そして冒頭の道路を歩き、さらに沢を渡った先に真谷地小学校の記念碑はありまし。た。今は訪れる人も少なく笹原に覆われています。校舎のあった場所は記念碑の奥で植林がされていて、その中に校舎の基礎も残っていました。昭和50年に閉校になりましたが、その当時の様子を想像することは非常に難しい状態です。

小学校を訪問後の帰り道、真谷地炭鉱へ向かう途中、スクーター音が後ろから響いてきてびっくりして後ろを見ると郵便局のスクーターがやってきました。たぶん奥にある電波塔へ郵便物を運んだところだったのでしょう。幻が現れたかと思いましたが相手の方もびっくりしたことでしょう。



北海道旅情報巻頭  3-1.炭鉱町を旅する  
空虚な真谷地炭鉱跡地と真谷地小学校(平成21年)