石狩油田八の沢鉱業所





門柱と記念碑



石狩油田は道内で最も規模の大きい油田地帯でした。安政5年(1858年)に函館奉行所の役人が発見し、明治36年より本格的な開発が始まりました。明治44年に日本石油に譲渡、日本石油石狩鉱場となりました。昭和4年に年間10,000キロリットルを産出するも、埋蔵量の少なさから、産出量は年々減少しました。戦時中に経営は帝国石油に引き継がれ、その後、北宝石油に継承されるも、昭和35年に閉山に至りました。



五の沢小学校跡から八の沢鉱業所への林道はすべて舗装されていました。途中1ヶ所ゲートがありましたが開いていました。



八の沢小学校跡には見取図が掲げられています。現林道の位置は推測が必要です。



小学校校門跡には石狩町立八の沢小学校跡と記されていました。そしてその横には鉱業所跡の碑がありました。



さらに少し先に行った左手には今も原油が湧出する地点があります。ぷくぷくと湧き出ている様を見ることができます。そして脇には立入禁止火気厳禁の看板がありました。



さらにすぐ先には伊夜日子神社がありました。



私有地入口にも火気注意の看板がありました。民有林道春別線の入口は立入禁止の看板はありましたがゲートは開いていました。



北海道旅情報巻頭  3-1.炭鉱町を旅する
石狩油田八の沢鉱業所