北炭幌内本沢今昔物語



北炭幌内の本沢地区には残念なことに平成元年の閉山前に訪問してはいません。閉山後4年経った平成5年に初めてこの場所に私は足を記しました。写真左がその時の写真です。まだ炭鉱施設の一部の建築物が残っていた時代です。写真右は平成16年度に二度目の訪問時のもので意識はしていなかったのですがほぼ同じ場所で撮影をしていました。本沢地区は炭鉱施設は建築物、上屋などはそのほとんどが消え去りコンクリートの遺構だけが目立つ空間になっていましたが写真を比較してみると案外街の風景は変わっていないという印象を持ちました。それでも歯が欠けていくかのように街は少しずつ小さくなっていきます。



平成5年当時の選炭場は打ち捨てられたかのような不思議な場所になっていました。解体するものはされ残るものは一部は何故か残り鎮座します。ベルトコンベアは直前までその姿を留めていたようですが解体がこの年に行われぷつんと断ち切られ台座のみが残っていました。それでも鉄骨造の上屋の一部がこの時はまだあったのです。左写真奥を見るとわかるようにこの当時はベルト斜坑捲場の上屋が健在でした。



平成16年の選炭場の状況。見事なまでにコンクリート構造物のみとなっています。写真左はその写真上の平成5年度のものとほぼ同じ場所であることがベルトコンベア台座から判断できます。写真右は二基残るシックナーのひとつ。



写真左は対岸に残るベルト斜坑捲場のコンクリート土台です。写真右は本沢と奔幌内を結んでいた人車連絡隧道の入口です。



斜坑捲場の脇からズリ運搬用の輸車路の長屋根がありましたが平成17年に解体されています。



幌内神社への階段。社は残念なことにかなり倒壊が進んでしまっています。



写真左は北炭幌内変電所。煉瓦造の外観がなかなかすばらしい。内部の機器も残地されているのが貴重です。

そして今まで紹介してきた一帯はみかさ炭鉱の記憶再生塾の手により幌内炭鉱景観公園として平成16年度から整備が進められています。



北海道旅情報巻頭  3-1.炭鉱町を旅する
北炭幌内本沢今昔物語