北海道炭鉱の祖、北炭幌内立坑櫓



幌内炭鉱は北海道初の機械化された炭鉱で明治12年に開鉱しました。その当時は官営でしたが明治22年に民間の北炭に払い下げられました。またその輸送を目的として明治15年に北海道最初の鉄道が幌内〜手宮(小樽)間に建設されました。第8次石炭政策下の平成元年に北炭幌内鉱は閉山となりました。また一足早く昭和62年に幌内線は廃止になっています。




北炭幌内入気立坑櫓とその背後にそびえるボタ山。立坑櫓は北炭幌内鉱と新幌内鉱の集約に伴い昭和42年に建設されたもので合掌型とよばれる形式のもの。写真は昭和60年に幌内線車内より撮影。今もその雄姿は健在です。



同じく北炭幌内排気立坑櫓とボタ山。排気立坑は昭和49年に建設されたもの。その直後の昭和50年11月に北炭幌内はガス爆発事故を起こしました。写真は昭和60年に幌内線車内より撮影。平成16年解体。



幌内炭鉱があった場所は現在は工業団地になっています。旧産炭地域に進出する企業は様々な優遇措置が受けられますが利便性の問題もあり工場誘致は厳しい実態もありますが三笠市の場合は道央自動車道のインターチェンジも近く恵まれている方でしょう。産炭地振興を目的として設立された地域公団は当時はこの様な工業団地の造成販売を目的として設立されましたがその後性格を変え住宅団地の建設、再開発にも手を染めましたが現在は都市公団に統合されてしまいました。写真は平成3年のものですが昭和60年の写真と周囲の状況が変わっていないことから考えるとかつての炭鉱の施設をそのまま使用している企業もあったのでしょう。



平成16年の立坑櫓。かなり鋼材がくすんだ色になりました。



北海道旅情報巻頭  3-1.炭鉱町を旅する
北海道炭鉱の祖、北炭幌内立坑櫓