楓駅モノクロスケッチ


登川支線と楓駅

石勝線が開通する以前は追分から夕張に至る路線は夕張線と呼ばれていました。 石炭を運ぶ、炭鉱鉄道としての性格が強く、その支線として紅葉山から登川の路線がありました。 やがて炭鉱が衰退し、石勝線の開業とともに紅葉山−登川の区間が廃止されました。 平行する石勝線が紅葉山−登川の中間駅、楓駅を引継ぎ周辺の炭鉱住宅のために営業が継続されてきました。 しかしながらそんな楓駅も北炭真谷地鉱の閉山とともに急速に寂れていきます。 かつては炭鉱住宅が立ち並んだ楓はわずかに改良住宅が残るのみとなり、登川にはわずかに木造平屋の炭鉱住宅が数軒残るのみとなっています。

楓駅を訪れる列車も一日3往復から1往復、そして日祭日運休と形だけの運行しかされていませんでした。 そして平成16年3月12日にその使命を終えたのです。





私は昭和62年3月、まだ一日3往復の列車が運行されていた時に訪れました。札幌と帯広、釧路を結ぶ幹線、石勝線の線路の横に間借りをしたかのように小さな駅はありました。 信号場としての設備ばかりが目立ちます。



駅で折り返しを待つキハ40。



駅舎の駅の表示とホームの駅名表。 駅名表はまだ旧型のもの。新夕張方面のみが記されていて占冠の文字はありません。


(地域別情報4-8-1.夕張周辺に地図と周辺案内があります。)

北海道旅情報巻頭  3-1.炭鉱町を旅する  3-5.北の鉄路 
楓駅モノクロスケッチ