三井芦別炭鉱・頼城と緑泉





頼城を抜ける国道452号線






三井芦別炭鉱は昭和14年に開鉱。当初は西芦別の第一坑を中心として開発されました。その後戦中に二坑も開鉱し、石炭の増産が計られました。ビルド鉱として位置づけられた炭鉱は昭和37年に一坑と二坑を結ぶ連絡坑道を開削、昭和39年には総合立坑が頼城に完成、昭和40年には選炭機能は二坑に集約されました。昭和41年に出炭量はピークの167万トンを記録しています。閉山は平成4年。また運炭手段として三井芦別鉄道が芦別-頼城間を結び一時は旅客輸送も行っていましたが合理化により閉山前の平成元年に廃止になっています。



三井芦別炭鉱の中枢部はほとんどの施設が撤去されています。わずかに残る建物が二坑坑務所です。



頼城の三井芦別鉱業所二坑理髪館は押切理容店として営業していたため建物が残っていましたが荒廃が進み倒壊してしまいました。モダンな外観には惹かれるものがありました。昭和23年築。



頼城の仲町商店街は歯抜けになってしまった店もありますが今も健在です。浦山電気ではかつて私は買い物をしたこともあったりします。



写真左は仲町7丁目の炭鉱住宅街で改良住宅が立ち並ぶ一角になっています。写真右は東町。



平成14年の水明荘。独身寮として建てられた建物でかなり細長いことが特徴的です。私が最初に立ち寄った時には日特建設現場事務所の看板が出ていました。かつてこの裏手にはRC造3Fの西町アパート群がありました。


平成18年の水明荘。



平成25年の水明荘。



三井芦別鉄道緑泉駅の駅舎は国道沿いにありますがかつてのホーム側はかなり改修が施されてしまった模様です。



頼城小学校の現在の建物は昭和28年に木造校舎が火災で全焼した後に昭和29年に完成したもので煉瓦の外観が映える校舎です。昭和35年には児童数2,000人を越える大規模校となりましたが平成14年3月に廃校になりました。、その後改修が施され、現在は星槎大学の校舎として活用されています。


頼城中学校は平成8年に廃校となり、平成11年より星槎国際高等学校の校舎として利用されています。



北海道旅情報巻頭  3-1.炭鉱町を旅する
三井芦別炭鉱・頼城と緑泉