三井奥奈井江炭鉱の炭鉱住宅群と専用鉄道








三井奥奈井江炭鉱は昭和42年7月閉山、三井鉱山砂川鉱業所奈井江専用鉄道は山元にあった12万トンと石炭搬出のため、翌年まで存続し9月に廃止されました。



奈井江の炭鉱住宅街は豊沼奈江川に沿って東西に細く長く広がっていました。豊沼奈江川には北海ダムの建設がかつては予定されていて、それに伴い住民の移転も進んでいました。しかしながら現在、ダムの建設は正式に中止が決まっています。ダム建設に影響されない向ヶ丘地区には炭鉱住宅がごく最近まで残っていました。 また隣接して商店も軒を連ねていました。 その風景は30年以上時代を溯り時がとまってしまったかのような不思議な光景でした。 炭鉱住宅はかまぼこ型の3階建ての古めかしい鉄筋コンクリート造の建物でした。現在、これらの住宅はすべて取り壊されました。



取り壊された跡には町営住宅が建てられました。その前に石狩炭鉱殉職者慰霊碑があります。



商店の建物は今もほとんど変わらず残っています。 商店の前に一人の老婆が佇んでいたのが印象的でした。



ないえ温泉はかつての三井奈井江中学校の跡地です。



白山小学校跡は広大な敷地に基礎の跡が残ります。三井奈井江小学校と白山小学校(旧)が合併してできた学校で昭和37年開校、昭和63年閉校です。



学校前には横断歩道がかつてはありました。



上砂川へ向かう途中に露天掘りの石炭の貯炭場があり、そこから林道が奥奈井江炭鉱まで続いています。そして林道から垣間見ることができるのが第二奈江川橋梁の雄姿です。



擁壁が残る道路を進むと視界が広がる場所に到着。この奥には坑口も数ヶ所残っているそうです。



左は三井奈井江炭鉱の坑口。右は石狩炭鉱坑口の看板が掲げられていました。



坑口の先にあった構造物。



山中にある水道施設。さらに奥へ行くと坑口の様な煉瓦の構造物がありましたが、周辺を歩き回った印象では坑口ではないかもしれません。ルートを変え築堤の先へ行くと三井奥奈井江炭鉱の坑口もあります。



北海道旅情報巻頭  3-1.炭鉱町を旅する
三井奥奈井江炭鉱の炭鉱住宅群と専用鉄道