三井砂川炭鉱その1(立坑櫓と炭山神社)




中央立坑



上砂川の最初の炭鉱の開発は明治29年の北炭の手による西山炭鉱でした。西山炭鉱は明治末期までが最盛期で、その後北炭は実地調査の結果、断層が多く、ガスの発生が多いため、この鉱区を三井鉱山に譲渡しました。三井鉱山は大正3年に第一坑の開発に着手し、大正〜昭和20年代に奈井江方面も含め一〜七坑、文殊坑、東山坑、奥奈井江坑、白山坑を順次開坑していきました。その後坑口の整理が行われる中で、近代化が図られ、昭和28年第一立坑、昭和42年中央立坑を建設されました。閉山は昭和62年。



中央立坑は閉山後、地下無重力実験センター(JAMIC)の無重力実験施設として一時は利用されました。落下距離は710mと世界一を誇ったもののコストの高さと大半を占めた国家プロジェクトが終わったことから、平成15年3月に運営会社は解散しましたが、立坑櫓は今も残されています。実験センターの道を挟んだ反対側に無重力科学館がありましたがこちらも無期休館中。



第一立坑は三角の青い屋根がとても魅力的でしたが、地下無重力実験センターの閉鎖に伴い役割を終え、解体密閉されてしまいました。



炭山神社は第一立坑の入口の小高い丘の上にありましたが、今は鳥居、階段、本堂は撤去されてしまいました。



そのすぐ麓にある旧上砂川小学校校舎は現在使用されていません。



「明日、悲別で」というドラマの舞台になった旧函館本線上砂川支線の上砂川駅です。今は昔あった場所から100m程移設され向きが変わってしまいましたが保存展示されています。 駅の中には昔の面影が色濃く残るだけでなく当時のロケの写真などが展示されています。



かみすなかわ炭鉱館は三井砂川炭鉱を中心に上砂川の炭鉱の歴史をまとめた資料館ですが現在は無期休館中。 水力採炭の擬似体験はものすごい音で一度試してみる価値がありました。

パンフレットより



無重力科学館も無期休館中です。



参考文献 昭和51年 三十年史 砂川炭鉱労働組合



北海道旅情報巻頭  3-1.炭鉱町を旅する
三井砂川炭鉱その1(立坑櫓と炭山神社)