ジュネーヴ、サン・ピエール寺院のオルガン

 ジュネーヴの旧市街、駅からレマン湖畔に出て有名な噴水を見ながらローヌ河にかかるモンブラン橋をわたり丘を上り詰めるたあたりには、ルソーやカルヴァンの時代そのままの狭い通り、古い町並みが残されています。画廊や古美術を扱う店、雰囲気の良いカフェや、要人がよく食べに来るというレストランも点在する、文化的な町並みの中に、いきなり大きな塔をもつカテドラルが現れます。
 起源は大変古いものだそうで、四世紀の頃にはすでにここに教会があったそうですから、由緒はたいへんなもののようです。
 ただ、建物そのものは、外観がいかめしいわりには、中は大変あっさりとしたもので、いかにもカルヴァンが説いた質素・勤労のプロテスタントのローマともいうべき町の教会であると感じます。
 左手を奥に進んで行くと、小さな椅子が置いてあって、ここがカルヴァンの席だったそうです。
 ここで一五三六年から一五六四年にかけてカルヴァンは活躍し、プロテスタントの倫理生活を推奨したのであります。
 メッツラー製の近代的なオルガンがこの寺院には設置されています。
 また移動できる小さな(といっても縦2メートル以上ありそうなものですが)オルガンもありますが、まぁこれは別に話題にするものでもないでしょう。ちなみにローザンヌのカテドラルにもこういった感じで小さなオルガンが置かれていましたっけ。

 ここのオルガンは実によく設計されているようで、残響と音の芯がとてもバランスがよく、またディナーミクの幅が大変広いのが印象的でありました。
 教会内部のいずれで聞いても残響にマスクされることのない、明瞭な音楽のラインを聞き取ることができるので、私には大変好ましく思えました。

 ここのオルガンのCDは二枚所持しています。アンセルメの指揮したサンサーンスのオルガン交響曲でもオルガンを弾いていた、ジュネーヴ生まれの名オルガニストで、この教会のオルガニストとしても活躍したピエール・セゴンの物です。
 これらのCDは今年(一九九九年)の夏、ジュネーヴのサン・ピエール寺院で買ったものですが、スイスGALLOレーベルのCD-568という番号のものとCD-246という番号のものですので、日本でも手に入るかも知れません。
 セゴンはライオネル・ロッグの先生でジュネーヴ音楽院の先生でもあります。一九一三年の生まれですから、大変なベテラン奏者で、リヒターやアランといった世代に属しています。
 パリ音楽院でマルセル・デュプレについて学んでいますから、もちろんフランスのオルガン奏法の伝統を受け継いだ奏者の一人と言えます。

 演奏は一言で言って地味なものでありますが、カテドラルのオルガンの響きが適度にエッジの効いた音である上、ディナーミクの幅の広さを自然に生かした大変に美しい演奏だと思います。
 奏者の個性や力強いパッションの迸りをここに求めては、見事に肩すかしを食うでしょうが、静かに音楽と向き合い、深い宗教的な精神世界を垣間見せてくれる、そんな演奏で、私には大変好ましいものでありました。
 またフランクのコラールのようにカヴァイエ・コルのオルガンの機能を使った作品では、この奏者がただ者ではない技術的、精神的なレヴェルに達していることを、はっきりと示しています。
 CD-568ではセゴン自身の作品も聞くことが出来ますが(5 versets sur le psaume 82、Postlude sur le psaume105)教会でのミサなどの実用に作ったものではないでしょうか。三分程度の小品で、こういったものや即興演奏などが、普段のミサや時折行うオルガン・コンサートなどのプログラムを彩っているのでしょう。

 今年、サン・ピエール寺院に行った際、弾いていたのは、もっと若い奏者のようでした。セゴン氏はもう高齢でありますから、そう演奏はされていないのでしょうか?
 しかし、実際にその教会で聞いたのと同じサウンドがわが家のみすぼらしいステレオからも聞くことが出来ることは大変な感激であります。
 シオンの古いオルガンやアーレスハイムの素晴らしい歴史的オルガンなどだけが貴重で価値があるわけでは決してなく、良い奏者を得てそのオルガンが人々の精神生活の一部として「呼吸」していることが重要だと、つくづく思いました。

 今年(一九九九年八月十八日の夕方の六時過ぎ、ジュネーヴはひどい夕立でありました。
 しかし、サン・ピエール寺院の中では、華麗なオルガンの響きに満たされていました。