The Other Side of Myself

 

15th May, 2000

 

平成元年に卒業するまでの5年間、わたしの大学時代の記憶はおもちゃ箱のようだ。

自分の中を極彩色のレーザーが通り抜けたような感じだった。

本州の端っこにある親元から単身、見たこともない美しい古都に来た。

凧の糸が切れたとはこのことか、の日々だった。学究的な心は霧散した。

何もかも珍しいものばかり。毎日二・三冊ずつ本を読んだ。夕方になると百万辺から

はい出し、先斗町、祇園、木屋町でアルバイトして実に色んな人と友達になった。

それなのに今は誰の消息も知らない。

誰かの恋人でいるのは、まるで似合わない洋服を着せられているような感じがした。

「何かが違う」と思い続けて結局何が違うのかわからなかった。

違和感があればそこから逃げるだけで良かった。世界は寛大で、可能性に満ちていた。

行くところは無限にあって、どこに行っても誰かと出会って面白かった。

跡には不義理の山が残った。

「借金はある程度の額を越えると借金という感覚がなくなる」とあるベンチャーの社長から

聞いて驚いたことがあるけど、それと同じように不義理も山になってくると

積んでも気にならなくなった。これが後に「恐怖のしっぺ返し」を呼ぶことになる。

それはともかく

おそらく、間違っていたのは「何かが違う」という観点だった。

そういう接点からはどこへも行けないのであった。

 

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