日本全国競馬場めぐり・番外編
おもひでの足利競馬場
(栃木県足利市)

 

スタート!('99年6月13日撮影)
 
 
 栃木県西端・足利市の渡良瀬川のほとりに、宇都宮競馬場に所属する馬のトレーニングコースと、それに併設する形で場外馬券売り場が立地しています。ここは、'03年3月まで「足利競馬場」としてレースが行われていたところです。ここでは、「足利競馬場」在りし日の光景を紹介します。(特記のない限り'01年3月18日撮影)
 

旧足利競馬場のあらまし

 伊勢町(現在のJR足利駅の南側あたり)に、1周1000mの競馬場がありましたが、河川改修のため五十部(よべ)地区に新競馬場を建設し、移転する形で'69年8月に新競馬場で初めて競馬が開催されました。これが、現在残っている旧足利競馬場で、全盛期には、1日の観客数が1万人を超えた日もあったようです。

 作者 まるしん が競馬を始めるようになった'90年代初頭には、素朴でのんびりできる雰囲気で「旅打ち」には最適、レースの合間はベンチ席に横になって日なたぼっこするのもなかなかオツな、そんなのどかな競馬場となっていました。
 しかし、'90年代後半から、会社員などの給与が下がり続ける世の中に、そして足利市周辺は競艇・オート・競輪などとの競争の激しい場所であることなどから、晩年は1日の観客数が1000人に達しない日も増えてきている状況でした。このため競馬場の赤字経営が深刻となり、'03年3月いっぱいで「競馬場」としては廃止。競馬の開催は、'03年3月3日(月)が最後でした。
 なお廃止後は、旧レースコースはトレーニングコースとして、旧スタンドの一部は「場外馬券売り場」として、そのまま活かされています。'04年12月現在、競馬場時代の設備はそっくりそのまま残っている感じとなっています。

  
 
最後の直線での攻防。写真右の白いものはスタンドの端。コースとスタンドとの間が狭く、熱戦を楽しむことができた。 旧足利競馬場・ゴール前
 
パドック(出走馬の下見所)
 
 
コース

 1周1100m、幅18mの右回りダート(砂)コースで、最大出走可能頭数は10頭でした。旧足利競馬場のコースは、完全なトラック形でなく、平行四辺形の角を丸くしたような感じ(←かなり大げさな表現ですが)のいびつな「スパイラルコース」となっているのが大きな特徴です。晩年は、800m、1300m、1400m、1700m、1800m、1900mのレースが行われていましたが、そのうち1400mのレースが最も多く行われていました。

 
 
スタンド・座席設備は、こちら!
 
 
内馬場・厩舎(きゅうしゃ)は、こちら!
 
 
おすすめジャンクフードなどは、こちら!
 
 

足利競馬場で行われていた主要レース

 旧足利競馬は、同県の宇都宮競馬と重ならない形で、およそ2カ月に1開催(注:1開催は連続した5〜6日)の割で行われていました。足利競馬場の大レースは、'90年代までは日曜祝日を中心に行われていました。
 一方、晩年期(おおむね'00年代に入ってから)の大レースは、原則として北関東地方競馬(足利・宇都宮・高崎)所属の馬が一同に会することができる条件で、平日を中心に行われていました。しかし、例外として日曜祝日に行われる場合(北関東弥生賞など)もあり、パターンがつかみにくいものでした。
 
足利記念(北関東G2)
 毎年春先ごろに行われた、足利競馬場で最も高額賞金であったレース。晩年は、北関東地区地方競馬(足利・宇都宮・高崎)所属の満3歳以上の馬によって争われていた。最終の'03年は、3月3日(月)に施行。足利競馬場の歴史のラストを締めくくるまさに「最後の華」の大レースとなった。

北関東弥生賞(北関東G1)
 レース名が示すとおり毎年3月ごろに行われていた、北関東地区地方競馬所属の満3歳馬同士のレースで、足利で行われる唯一の若駒大レースであった。このレースに勝つと、中央競馬・東京優駿(日本ダービー)競走出走のチャンスが芽生えてくるものであった。最終の'03年は、2月23日(日)に施行され、「土日休み」の人が気軽に見に行ける、足利競馬場最後の大レースだった。なお、'04年以降このレースは、宇都宮競馬場に場所を変えて引き続き行われている(ただし、'05年限りで宇都宮競馬場も廃止予定)。

 
 

旧競馬場へのアクセス

 
栃木県足利市五十部町313 0284-21-1211
※「五十部」は「よべ」と読みます。難読ですね・・・。
 
★JR山前駅から東方向へ徒歩15分。
★東武足利市駅から西方向へ徒歩40分
★東武足利市駅から小俣行き市生活路線バス「やまなみ号」(1日4往復運行)で「競馬場前」バス停下車すぐ、または松田町行き市生活路線バス「せせらぎ号」で「今福3丁目」バス停下車徒歩5分。バス時刻などについては、足利中央観光バス0284-22-0088まで。
 
 
旧競馬場周辺の風景
 
 尊氏に代表される足利氏ゆかりの足利市は,みどころの非常に多い街です。以下に紹介するのは、あくまで「主な」スポットです。
 
足利学校
 平安初期に創立されたといわれている日本最古の学校。漢学・医学・儒学などの授業が執り行われ、かのフランシスコ・ザビエルもこの学校を世界に向けて紹介したという逸話があります。明治期に廃校、学校門などが残っていましたが、1990(平成2)年に建物などを復元、現在は足利市の目玉スポットとなっています。JR足利駅・東武足利市駅から徒歩10分。9:00〜16:00、400円。第3月曜(祝日の場合は翌日)休。0284-41-2655。

ばん阿寺(ばんなじ)
 足利学校の裏手(北側)・足利氏の居宅跡に創建された寺院で、市民には「大日様」と呼ばれています。1196(建久7)年、足利氏2代目義兼(ちなみに尊氏は第8代)が邸内に持仏堂を建てたのがこの寺の始まり。したがって建物は、寺院というよりはむしろ武家屋敷の造り。周囲には堀がめぐらされており、山門前の堀に架かる屋根付きの橋が大きな特徴となっています。なお、「ばん阿寺」はオール漢字表記ですと「鑁阿寺」となりますが、「鑁」が難読文字であるため、漢字仮名交じり表記されることが多いです。これにちなんで、旧足利競馬場では「ばん阿賞」というレースが行われていました(注:レースそのものは宇都宮競馬場に場所を変えて継続中)。0284-41-2627、原則として無料。

渡良瀬橋
 森高千里の曲で一躍有名になった橋で、その歌詞のとおり冬の夕日がよく似合うスポット。東武足利市駅のすぐ前に架かる橋(中橋)のひとつ上流に架かっていて、ちょうど足利市駅〜旧競馬場間の徒歩ルート上にあたっています(駅から10分、旧競馬場から30分)。

大手神社
 藤原秀郷に討ち取られ体をバラバラにされた(伝説)平将門の手をまつった「手の神様」。手に関する願(がん)をかけ、それがかなった場合は手首や手形を描いた絵馬を掲げます。旧競馬場から歩いて約15分。

 

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