1999年7月15日午前

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私が宿泊することにしたホテルは、ベッキオ橋の南端あたりにあって、マキャベッリの生家にも近い。街の中心からはやや南側となる。そこで、まずは初日、一番遠い場所から攻めようと考えた。街の北の方にあるサン・マルコ美術館を目指す。

サン・マルコ美術館 かつて、サヴォナローラが修道院長をつとめていたサン・マルコ修道院が、今は雰囲気のあるこの美術館になっている。サヴォナローラが使用していた僧房がそのまま残されており、彼が身に着けていた僧衣など、遺品も展示されている。
マキャベッリ・ツアーとしては、サヴォナローラ関係の名所という位置づけになるが、普通の人は、フラ・アンジェリコのフレスコ画を目当てにやってくる。私も大好きな画家である。階段を登りきったところ、2階の廊下に名画「受胎告知」が展示されていて、1階から階段を見上げると、いきなりこの大作の一部分が目に入る。階段を一歩づつ登って行くにつれ、次第に作品全体に視野が開けて行く。この趣向はあまりにも感動的だった。小さな僧房がたくさん並んでいて、それぞれの部屋の壁には、フレスコ画が修道院時代そのままに残されている。

隣の建物はサンマルコ寺院で、こちらは現役の教会。
入り口のところで、子どもの姉弟のスリに出くわす。強盗に近い方法でスリをやってのけるコンビである。彼らとの闘いは、ミラノ、ローマに次いで、これで第3戦目となった。彼らの存在に気がついた私は、すばやく教会のドアを抜けて中に入った。しかし、男の子の方がすばしっこく私のリュックに飛びつき、リュックをつかまれたまま教会の中に入る羽目になる。
実は、数年前、ある高名な歴史学者の先生に、子どもスリへの対応策について、大変ありがたいアドバイスを受けたことがある。大先生いわく「まず、相手の胸を突いて、自分の体から離すこと」。なるほど、と思える方法である。ただ、相手は子どもだし、「突き」の加減が難しいのではないか、という気がしていたが、大先生によると「ウチの嫁さんなんか、殴ってましたけどね。”川に突き落とすぞ”とか言いながら…」とのこと。手加減の具合についても、ご伝授いただいた。
ダヴィデ像 しかし、教会の中に同時に入ってしまった私は、実力行使をためらってしまう。さすがに、キリスト様の御前である。子どもを叩いたらバチが当たりそうな気がした。その瞬間、彼らはリュックのポケットを開け、中身を全部持って行ってしまった。もっとも、中身は全部紙切れの類で、金目のものはなし。彼らは、適当に床に紙切れを放り投げ、逃げてしまった。その場に居合わせた観光客のイタリア人夫婦によると、その夫婦も襲われたとのこと。とりあえず、被害額ゼロ。ミラノ、ローマでの闘いに続き、第3戦も私の勝利に終わる。そろそろ負けそうな気がするが、第4戦は川の近くであることを願っている。

マキャベッリ像 第3戦終了後、すぐそばのアッカデミア美術館に移動。
長い行列が外側の道にできていた。ミケランジェロの「ダビデ像」の人気のせいだが、さすがに実物を見ると、この大作を彫刻でやってのけたミケランジェロの天才ぶりが実感できる。石の塊を刻んでの超大作。粘土をペタペタやって、鋳型をとって金属を流し込んだような作品とは違う。
さて、マキャベッリ・ツアーのお目当ては、その先にある。ロレンツォ・バルトリーニ作のマキャベッリ像が展示されている。もともとウッフィツィ美術館の回廊にあったもので、回廊の方にはレプリカが飾られている。19世紀に制作されたものだから、実物に似ていないことは確実。しかし、この神経質そうな表情の像が、マキャベッリのイメージに良くも悪くも影響を与えてきたと思う。

メディチ=リッカルディ宮 マキャベッリの像に挨拶し終えると、さらに南に移動してメディチ=リッカルディ宮を観に行った。
中庭に入ってうろちょろしてみたが、チケット売場が見あたらない。それらしい案内板もない。係員に聞いて、ようやくその場所がわかった。で、チケットを買って中庭に戻ろうとすると、学生らしき若者が待ちかまえていた。観光局関係のアンケートだそうだ。質問は「チケット売場はすぐ見つかりましたか?」。わかっているなら対策をとっておいてくれよ!
メディチ宮での最大の見所は、ゴッツオリの大作「ベツレヘムに向かう東方の三賢王」。ロレンツォ・デ・メディチが、白馬にまたがる美少年に描かれている。これがあのロレンツォかと思うと、笑ってしまう。当の本人も、きっと苦笑を禁じ得なかったに違いないと思う。


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